記憶を新鮮なままで

こっちでもりんごアイコンです。見たまま聞いたまま感じたままを咀嚼しきる前に留めておきたい。コメントくれるとめっちゃ喜びます。

劇団朱雀岐阜2部まとめ~幕引き公演~

 

こんにちは!

書かなきゃいけない朱雀ブログを数個貯めこんでるんですが、小休止的に、平日中心に岐阜のお芝居レポをここにまとめときます。アドリブやら感想やら諸々その日に覚え書きしたやつ。ツイートをブログに貼り付ける方法を覚えちゃったので。どんどん使っていく。

 

土日は配信あるし…という甘えであんまり真面目にレポしてないから少ないです!

あと私が入れた回だけなので、平日の昼と26の昼はないです〜!

 

19日(土)昼「次郎長旅役者」

 これだけです!レポする気があまりなかった頃なので!許して!

 

 

19日(土)夜「気まぐれ鴉」

(※ おつまちゃん=須賀。太一藤太郎を追いかけまわす女性)

最高のすがけんたいちでした!!

 

 

20日(日)昼「二人忠治」

めちゃくちゃ高い作り声の陽之介チュー太郎でお腹抱えて笑った。太一さんが不細工メイクの芝居です!

 

 

20日(日)夜「身代わりカンパチ仁義」

 深い傷をつける、とか書いてるけど深い傷を負う、だね。傷が深すぎて日本語使えなくなってるね。

「すっ飛ばしの」カンパチ、面白いし胸を打つしとても良かった……

 

 

21日(月)夜「チャンバラ流し」

アドリブの応酬!!

 陽之介さんが須賀くんを可愛がってて愛おしいよ!!

 太一さんwwwwww

が……がんばれ!w

今年も親子劇場枠ありがとうございました!ごちそうさまでした!!wwww

 

 

22日(火)「弁天小僧菊之助

ゆっお帰り回!

 ゆっくん鬼滅好きだもんな…w

ずっと観てみたかった弁天。まさか平日のこんなど真ん中で観れると思わなかったよ〜!お菊ちゃんが可愛すぎて初朱雀に連行した隣のお友達が絶句してました。絶句する気持ち分かる。

 

 

23日(水)昼「花太郎笠」

ちなみに私この回観てないんだけど、TLから得た情報たちに困惑させられていたときのツイートです。)

すがけんたいち強火なのでとても入りたかったですが、もう運なのでしょうがない!大衆演劇なので!

 

 

23日(水)夜「喧嘩屋五郎兵衛」

これは…辛かった…苦しかった…

 絶望に「マシ」なんてあるのかって話だけどね。

 

 

24日(木)夜「青春木曽街道」

ゆっくんが1部白塗りだったから絶対駒太郎だろうってなってました!来ましたゆっ主役!太一さんは不細工メイクです!

 去年のらくだのうまを思い出す…笑

 ちなみにこのトメに絡まれたお客さんはフォロワーさんでした(すご!)。後から「ほんとは兄派です…」って言ってた。おにいちゃんよかったね!w

 この可愛がり方は癒される。ちなみに須賀くんが陽之介さんのインスタをフォローしていることに気付いてニコニコしました。ほっこり。

 私わるくないもん!(大声)

去年TLで散々話題になってた駒太郎の「わたし、、、かなしい、、」が観れたので満足でした!TL見てたら去年はかなちゅいって言ってたんですね?かわいい。

 

 

25日(金)夜「川北長次」

このお芝居が来る予感がしてた。トミーのツイートの稽古写真がそれっぽかったので。で、配役的に須賀くんがマサな気しかしなくてぶるぶる震えてました。

 (須賀くんがマサでした)

泣いた…そして川北も絶対配信でやると思ってたからびっくりした!!!!!

 

 

26日(土)夜「金太初旅」

「金太初旅」って外題を言われた途端に悲鳴上げそうになったし太一さんの金太か〜〜って思ってたら須賀くんの金太が現れたので身体が硬直した…そんな…そんな…!

 買いましたもんね…

もうずっと須賀金太をこねこねし続けてます。金太、他の劇団で観て思い入れがあるし、もともとシャブい外題で好きなんですよ。この日の金太についてのブログ、この日の深夜からずっと書いてる。たぶんまた近々上げます。頑張れ私。

 

 

27日(日)楽「大江戸喧嘩纏」

 ちなみにこの4日後、私はふらっと行った劇団鯱で兜兄弟による大江戸喧嘩纏を観ることになります。金太もそうなんだけど葵の大江戸喧嘩纏の筋が分かって面白かったです〜!

 

以上です!見返したいときに自分のレポツイートを遡るのが大変だったというのもあって、私のためのブログでもあります!朱雀楽しかったよーー!

劇団朱雀の須賀健太が最高の騒ぎ屋だった話

こんにちは!

2020年12月28日、ぎふ葵劇場の幕が引かれて一夜が明けた現在(これを書き終えたのは2日後の30日)、朱雀の新鮮な感想をまず書き留めておきたいところですが、それよりも先に言葉にしておきたいことがあるのでまずこのタイトルで始めさせていただきます!

「劇団朱雀の須賀健太が最高の騒ぎ屋だった話」。

劇団朱雀の須賀健太の輝き、全ての人にご覧じろ!!!!!して回りたい。それくらい煌いてました!!!!!!!!!!!

そもそも私、須賀くんのこと元々ゆるく推してて好きなんですよ。熱心に追ってはないけど、カレイベに参加してお喋りしたりお誕生日に手紙を書いたり、Tシャツ(須賀Tと呼ばれるもの)を買ったりするファンではあったんです。須賀くんって「全力」が出来る人だし、どんなに汗をかいて自分を爆発させても圧倒的で純な「少年感」があるじゃないですか。自分を燃やしても燃やしてもキレイで、良い意味で「男臭さ」とは真逆の位置にあるというか。その「作ってない上品さ」のファン。

それに、須賀くんが誰かと戯れてると、それが誰であっても「このコンビ大好きだな〜」って毎回思わされるんですよ。人と関わった時に自分と相手の魅力を相乗効果で引き出せるというか。誰とでもすぐに仲良くなれるし。例に漏れず、太一さんと須賀くんの掛け合いもお互いが活き活きしてて自由で楽しそうで、めちゃくちゃめちゃくちゃ大好きなんですね。「須賀 早乙女」とか「須賀 太一さん」とかで検索かけて遡ると私のツイートが結構ヒットします(須賀健太&早乙女太一、やんちゃ小僧&ヤンキーに見える時もあれば超常識人&超自由人に見えるときもある)(ツッコミとボケがコロコロ入れ替わってどっちが上か下か分かんなくなるところが好き)(早乙女クッキングを見たことがない人は太一さんのIGTVに飛んでみてください、自由奔放な早乙女先生に振り回される須賀くんが見れる動画です)。

https://www.instagram.com/tv/CAkHbz-JN3l/?igshid=1xfz5x2bpv73q

 

、というような諸々の理由で、私は須賀くんがアツくてパワフルでかつ綺麗で上品な劇団朱雀に出演したらどんなに相性が良いだろうか、どんなに幸せだろうかと何度も思ったことがあったので、発表されたとき飛び上がるほど嬉しかったんですね。これは朱雀が始まる前の私のツイート。

 

 

そして迎えた劇団朱雀本番。夢見たような「朱雀の須賀健太」がキラッキラに輝きながらぎふ葵劇場の舞台に立っていた。個性豊かな朱雀の面々一人一人と極上のコンビネーションを構築しながらみんなと一緒になって笑ってる須賀健太が岐阜柳ヶ瀬のドンキの8Fにいた。

2部のお芝居、初日は流石にアドリブに喰らいつくのに必死で岐阜の洗礼を受けてる感じもあったけれど、2日目からのアドリブの冴え方と芝居の光り方が尋常じゃなかった。

外から今回引っ張ってきた感がまるで無い溶け込み方で、太一さん初め陽之介さん祐也etcみんな須賀くんを可愛がっていて。でもカメレオンみたいな保護色的な溶け込み方じゃなく、その中で違和感なく須賀健太独自の「少年力」を発揮して劇場中を魅了してたなと思う。須賀くんのパワーが放つ純でまっすぐに輝く希望の光やみんなが寄って集って可愛がってあげたくなるような愛らしさが、朱雀を朱雀のまま前進させてるなと思った。「新参者」と呼ばれながらも早くも朱雀の要なんじゃ無いかと思った。無くてはならない存在じゃんと。なんていうか、朱雀というスーパーマリオ須賀健太というファイヤーフラワーを食べた感じ(?)。劇団朱雀、マリオはマリオのままで格段にパワーアップした。例えが変だな!ごめん!でもそういう感じ!ファイヤーボールが出せるマリオになりました!

お芝居に関して取り立てて言うとすれば、まず「気まぐれ鴉」のおつまちゃん。可愛かった〜〜!須賀くんの女形のお芝居をずっと観たかったので初日からハッピーでした。太一さんから髭を指摘されたときの「やめなさいよ(須賀健太は)生えないキャラでやってるんだからw」みたいな返しが秀逸だった。

大衆演劇のお芝居を観てるときって役者その人の中身がアドリブでポロッと出る瞬間を待ち侘びてるところが若干あるので、ここで「うわぁ早くも大衆演劇須賀健太だ!w」って思えた。須賀くんって確かに永遠に髭生えなさそうだもん(笑)

それに「丁に張っておくれよねぇ」etc女形のキメの台詞の音のハメ方と抑揚が、可愛いまま女性のまま普通にめちゃくちゃ上手くて痺れた。須賀くんほんとに女形お芝居初めてなの????っていうか大衆演劇のお芝居ほんとに今日が初めて????

次に「身代わりカンパチ仁義」の“すっ飛ばしの”カンパチ役を務めた須賀くん、まず自分の名前を忘れたけれど、臨機応変に喋って繋げることで場をもたせることができる大衆演劇だからこそ可能な対応を迅速に行ってて大拍手した。

自分にトラブルが起きてもパニックにならずに、止まらず楽しんで乗り切ろうとすることができる力が須賀くんにあるからこそ出来たことだろうと思う。そして、それって大衆演劇との相性良すぎるじゃん、と思ってじーーんときちゃった。

「さかなくん…」ってボケかけてやめた須賀くんに「怖気付くな!w」ってその場で笑いながら「こういうもの」というのを教えてあげられる太一さんとのラフで仲良しでナチュラルな関係性も良かった。そのおかげで須賀くんはどんどんどんどん大衆演劇に馴染んで、大衆演劇を掴んで行けたんじゃないかとも思う。

『すっ飛びのカンパチ』という名前が出て来ず「足の速い…カンパチだ!」って自力でなんとかしようとしたり、「お前の頭がすっ飛ばしてるよ」って言われたときに「そういう意味もあるんだ、すっ飛ばしには」ってすぐさま返して"そういうこと"にしようとしたり。

そしておどおどせずに(実際は戸惑ってるのかもしれないけどその間に目がキラキラうるうるしてるから活き活きと見える)振る舞って、調子が出てきたらすぐノリに乗って飄々とこなしてるのを見るのは楽しいし気持ちが良い。初めて飛び込んだこの世界のことをどんどん吸収して自分のものにして、須賀くんならではのポジションを徐々に、でもしっかり見つけに行けてる感じを見ているのは「生きてる演劇」という感じがしてゾクゾクする

ジャイアンモードの太一さんに投げ飛ばされて「こんな仕事したことねえよ!??!」「明日から来ねえぞ!!?!」って全力大声で言ってのけて笑いが取れるのもすごいことだし。

で、ラスト、銃弾に倒れて死んで行く松五郎の最期の願いを汲んで松五郎の母親の手を取り、自分が松五郎として親孝行をしながら生きていくことを決めるカンパチ、激しい動揺の最中で自らの覚悟を固めていくカンパチ、須賀健太の「なんかいいやつ」「純な少年」要素が輝きまくってた。顔にも声の震えにも空気にも戸惑いを滲ませつつも静かに松五郎の意を汲むカンパチを見て、一つの外題の中で、面白く機転の効く須賀健太「役者」須賀健太も存分に堪能できたと思った(あと太一さんとのコンビネーションの良さも)。

あと須賀くん、あんなボロボロな格好をしててもその瑞々しさのおかげで「汚らしさ」が下品じゃないところも良いなと思った。どろんこ小僧感というか、なんというか、擦れてはいるけどしっかり純。(追記:太一さんが今日投稿したインスタの7枚目に最高のカンパチがいるよ)(とか言ってる間に須賀くんもカンパチの投稿をしたよ)

思いがけずカンパチの話が長くなっちゃったけど「喧嘩屋五郎兵衛」の下げ緒の伊之助も、須賀くんの汗臭さや泥臭さがないまっすぐさが悲しさを倍増させるお芝居だった。

配信があったわけでもないし観たのは1週間前だけれども、伊之助の台詞の質感と声色をずっとリアルに覚えてる。激昂した五郎兵衛から果たし合いを命じられたときの「親分に向ける刀など…」という台詞に含まれた哀しさと忠実さ。潰した刃で五郎兵衛と闘い、無惨にも斬り捨てられようとする伊之助の「もう勘弁してください…」という台詞に含まれた親分の愛情を信じたい一縷の希望と大きな絶望。

あんなに登場人物全員が絶望の淵に叩き落とされて終わるお芝居なかなかないけれど(私は絶望のミルフィーって呼んでる)、最期の最後まで大好きな親分を信じたかった須賀伊之助を思うと苦しくって仕方がない。そしてしかも伊之助が死んだ後、伊之助が刃を潰していたことを知った五郎兵衛が自分の全てに絶望して自害するけど、それだってきっと伊之助は望んでないことだし。愛を棄てられたままであっても「親分が自分を斬ることで気が済むならそれで構わない」って言うことができる一の子分だもん伊之助は………

 

「川北長次」の政吉は、須賀くんの圧倒的な「光」属性あってのマサだったなーと思う。マサは、ゆっくんの親分だいすき狂犬ワンワンなマサを見たことがあるんだけど、須賀マサは例えるならばもっと常に光の色をした棘が生えてた。ゆっマサが「スピンし続ける円形カッター」だとしたら須賀マサは「静止した針山」という感じ(近付けばケガするのは一緒)。

長次って、ずっと探し続けていた父親に大切な子分を(自分の身代わりとして)斬られ、その当の父親を自分は斬り、親殺し子殺しの暗闇を彷徨っていたじゃないですか。

須賀マサはそんな長次に残された唯一の温かく輝いた希望として抜群に煌いていて、大好きになった。須賀くんの愛らしさが輝けば輝くほど辛く苦しい長次の心を癒して、この哀しい物語の結末を泣きそうにやさしくあたたかく強い光で包み込んでいたなぁと感じる。

 

「金太初旅」に関しては色々諸々思うことが多すぎてここに書ききれないので、金太初旅だけでブログを書きます。なのでとりあえず脇に置いとく。置いとかせて。ちなみに私は別の劇団の公演でそれぞれ今回の奈々さんの役をやってる陽之介さんと今回の太一さんの役をやってる陽之介さんを観たことがあるんだけど、そっちのブログではたぶんその時の話もする。そして、須賀くんに対して朱雀内からの大きな信頼があり、かつ須賀くんへのお客からの大きな信頼を確信していなければ、金太という役を太一さんは須賀くんに任せてはいないだろうな、というような話をそっちでします。

 

お芝居の話だけでこんなに長くなっちゃった!!3部の話もします!!!3部も須賀くんでたくさんたくさん感動した。さっきのマリオじゃないけれど(まだ言う)須賀くんのいる3部、スーパースターを食べましたか?ってくらいキラッキラ無敵。マリオ以外の例えが出て来ないけどニンテンドーの回し者ではないです。須賀くんにどんどんやられていく私のツイートとともにお届けします。

 

まずガラスの十代、ローラースケートを滑って登場する須賀くんの歌い出しの「言わないで〜♪」が可愛すぎて今でもよく脳内でこだまする。あと「さよならは間違いだ〜よ〜♪」の「だよ」に母性本能くすぐられすぎて困惑する。須賀くんセンターのスジャニーズはきっと観れると思ってたけどまあお祭り忍者だと思ってたから、まさか茶髪パーマに赤い羽の髪飾りつけたキラッキラのかーくん健ちゃんが観れると思わないじゃないですか?!この公演中に「須賀健太の0番力」っていう字面をTwitterでたくさん見たけどほんとにそうで、ガタイの良いおっさんたちのドセンターに立って、右の口角クイッとあげて自信満々に表情豊かに目をキラッキラに輝かせて踊る須賀くん、浴びてるだけで幸せになるタイプの輝きを放ってた。須賀健太、職業欄に「アイドル」を加えた方が良い。可愛いとカッコいいを両方備えているアイドルは最強です。あの瑞々しく潤んだ煌めきはシンプルにときめく。ちなみに私はサビ前の「ハイ!ハイ!」って片腕上げてみんなで真上にジャンプするところと「集めてしまうよ」の首を傾げながら横歩きするところが何気に好きです。

お祭り忍者に関してはもう大好きすぎて、お祭り忍者の回に入れるたびに「また観れたー!( ;  ; )」って感涙しそうになるくらいだったんですけど、「それまた隣のおばさんが〜♪」の須賀くんソロのところが特に好きで毎回幸せな気持ちで釘付けになって観てた。あんなにリズムにノッてニヤっと笑って超楽しそうなのにちゃんっと粋なんですよ。ねじり鉢巻巻いて(たまに激しく動きすぎて鉢巻吹っ飛ばして、その状況も楽しんでそうな風に笑って)お祭り仲間みんなと楽しそうにお祭りわっしょいして、しっかり地に足の付いた小粋な少年なんですよ。ていうか隣のおばさんっていうかもうあのセンターのお祭り少年自体がチャキチャキ江戸っ子だしお祭り騒ぎが大好きじゃん。歌詞と踊りと須賀くんと騒ぎ屋の相性が良すぎませんか??ちなみに少し逸れるけどお祭り忍者では智之さんの肉声の「一番乗りだーーーい!!!」を毎回心待ちにしてました。あの智之さん超楽しそうでめちゃめちゃ元気出ない?わっしょーい!!!!

↑お祭り忍者の須賀くんにノックアウトされてる様子がよく見て取れますね!!!

 

なんかこの調子だと終わりそうにないからかいつまんで思い出した順に喋るね。

須賀くんが騒ぎ屋に馴染み過ぎてたのがShake Hip!!。あとズッコケ男道。Shake Hip!!は肩の力を抜いてみんなでいぇ~~い!!!!って楽しむ曲だけど、須賀くんも心底楽しそうに笑いながらリズム感抜群に踊るし、お客さん一人一人と目を合わせて振りを一緒にやったり、近くのアヤノちゃんや祐也と戯れたり、 向かい合わせのあゆちゃんと活き活き踊ったり、ラストの「Wow!」までの間ゆっくんとふざけてたり、太一さんに絡まれて押し合いしたり、もう朱雀の一員でしかなくて。「新参者須賀健太をこちらが両腕を大きく広げて受け入れる」とかそんなことではなく、「ごく自然に当然の如く、居る」って感じいるよね、いたよね、って感じ。12月になってから稽古が始まって皆と踊り始めただなんてちょっと信じられないレベルに、客席も朱雀メンバーも「朱雀の須賀くん」に馴染んでたなと思う。

そしてズッコケ男道、(私去年岐阜朱雀に2回しか入れてないので実は岐阜曲に関しては「楽しい」という噂しか知らなくて)これ観たかったやつ!めっちゃ楽しい!朱雀だ~!ハッピー!!!って感じで「ブン!ブン!」してたんだけど、曲の終わりごろになってやっとこの面々に須賀くんがいることに気付いて。え、いたの!???!このズッコケ男道、朱雀の過去映像で見たことあるような100%SUJAKU!って感じでしかないけど須賀くん今ずっといたの!????!!?ってなって大衝撃だった。緑のみんなとお揃いの衣装で舞台を端から端までみんなで動いてニコニコしながら「ブン!ブン!」してる中にあまりにナチュラルに楽しげに存在しすぎてて、もう、なんていうか、もはや劇団員じゃん!?ってなった。すごすぎるよ須賀くん。っていうか朱雀すぎるよ須賀くん。

 っていうかMATA©TANAとか江戸カニとかでも馴染みすぎてるからな、須賀くん!(笑)言い忘れてたけどバチ抱えてニヤッとしながら溌剌に踊る祭男爵の須賀くん、少年ジャンプの主人公感がものすごかった。さすがハイキュー。

 

いろいろ特筆点多すぎて肝心なの忘れてた。健子ちゃんですよ!!!!!!!!!!!!!東京ドンピカ情熱のルンバ狂わせたいのどうにもとまらないめ組のひとKOME KOME WAR。か、か、か、かわいーーーーーっっっ…………。須賀くんって化粧しないそのままでも母性本能くすぐってくる赤ちゃんみたいな表情することあるじゃないですかぁ、目がうるうるしてたり口がふよふよしてたり。健子になった途端それが「女の子の可愛さ」として機能し始めるんですよ。たいちさんがプリティだなって思いながら踊ってたのも納得の可愛さ

トミ子も可愛いよ、でもトミ子のエンターテイナーとして、ショーマンとしての楽しさからくる「キュート」とはまた違って、プリティでスウィートなんですね、健ちゃんは。害がない。(トミーのキュートさも大好きだよ。「キュート」って上品下品、小気味良いと気味悪い、強いと弱い、etc「両極端」を同時に含むものに対して「なんかいい」というのを表す概念だと思ってるんだけどトミーはとにかくキュートだと思う。もちろん全部良い意味で)(めちゃめちゃ脱線してごめんだけどサイモン・メイ著「ザ・パワー・オブ・キュート」っていうキュートの概念についての本面白いよ)

とにかく健子はプリティで。KOME KOME WARのほっかむり健子なんて、中に隠してた健子のリボン鬘の形がでっかくくっきり出すぎてもうほっかむりが白無垢の綿帽子にしか見えなかったですからね。あの田んぼでお仕事しながらコメウォーしてる誰かのところにこれからお嫁に行くんじゃないかみたいな可愛さだった。

 あとまあ話半分に聞いてくれたらいいんですけど、上太郎さんとのライブのときに太一さんが言ってた「健ちゃんには女形もやってもらう」が私ずっと気が気じゃなくてですね。と、いうのも、私が推している大衆演劇の役者さんに葵翔太郎くんという方がいるんですけど、須賀くんに似てるとめちゃめちゃよく言われてるんですよ(本人も昔からよく言われるらしい)(翔太郎くんは初めのほうか終わりのほうに幕引き公演に来られた方だったら多分皆さん会ってると思うんですが、カウンターでビニール手袋つけて朱雀マスクつけて水やお茶を売ったりしてた男の子です)。

私は翔太郎くんのめちゃめちゃプリティー女形が心底好きなんですけど、似ていると言われる須賀くんが女形をしてめちゃめちゃ似てしまったらどうしよう…という懸念がずっとあったんですね。須賀くんも翔太郎君も別個に好きだから被ることは無いにしても、重なってしまったらなんか怖いな…って思ってて。でも須賀くんの女装には須賀くんの女装の、翔太郎くんの女形とはまた違って皮膚の薄そうな(?)魅力があってなんか安心しました。ごめんなさい話が逸れて。半分くらいは翔太郎くんの名前を出したかっただけです。

兎にも角にも須賀くんの顔の造形の良さが引き立つメイクになってたなと思う。太一さんが今年の3月くらいにインスト質問箱で女形の化粧は自分の元の形を無理に変え過ぎないようにしてます」って言ってたのを思い出した。

 

なんか諸々書いたけど、須賀くんが朱雀に出てくれることを待ちわびていたし夢見ていたし、そしてそれが最高の形で叶って本当にこの9日間幸せでいっぱいで。朱雀の幸せの上に、朱雀の須賀健太というスーパーボーナスがついてきてもうずっと夢見心地だった。そして千穐楽に向かうにつれて、もう朱雀の須賀健太が観られなくなるんだ、という寂しさもあったんですね。

そして、だからこそ千穐楽のその日、狂わせたいのMCと幕引き前ラストの時に、朱雀のメンバーと劇場の客席が「朱雀の須賀くん」を全力で讃えてるのをその場で実感して痺れるほどに震えるほどに嬉しかった。そうだよなあ須賀くん凄かったもんな、そりゃそうだよなぁって。

 

そして、岐阜からの帰路につきながらTwitterやインスタを徘徊してたら、

須賀くんのTwitterの「ずっとずっと仲間に入りたかった」、

朱雀のTwitterの「#家族が増えたぜ」、

ゆっくんのTwitterの須賀くんとのツーショを添えた「新しい家族。健ちゃん。またやろうね。」という言葉、

創さんの須賀くんへのリプの「またね、座員の健ちゃん!」

に立て続けにめちゃめちゃ泣かされた。

「新参者」が「新しい家族」になったんだよ。須賀くん、もう家族かあ、もう座員かあ、って思って。

そして須賀くんのインスタの投稿の長文にトドメを刺された。もうあっしの口から言うよりもまずはこれを見てくだせえ(須賀金太)案件。

 
 
 
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こちらの想像を絶するほどにハードな毎日を一切の手抜きゼロで乗り越えて、あの舞台の上で全力で生き抜いたんだなと感じた。

そんな須賀くんが「美しい経験」と呼ぶ場所が劇団朱雀で良かったし、葵劇場で良かったし、その場に居合せられて良かった。岐阜のドンキの8Fに永遠に焼き付けられたあの赤く騒がしい景色を私も絶対に忘れないし、そこに熱く美しく輝く閃光のような須賀くんが居てくれて良かった。

心洗われるような美しさに浸ったり、何も考えずにゲラゲラ笑えたり、人1人からその場で生まれる狂気に圧されたり、一つの舞台の上で毎度代わる代わる繰り広げられる「全力」に感動したり、3時間の中でたくさんの色とりどりな感情をプレゼントしてくれる劇団朱雀を好きになって良かった、とまた改めて思えた。その朱雀のカラーの中で心強く存在してた須賀くんに本当に本当にありがとうだよ、お疲れ様!!!!

 

 

須賀くん、次回の朱雀でも一緒に遊ぼうね!

次はきっとマスク無しで騒ぐよ!約束だよ!

まってるよーーーーーー!!!

9PROJECT「熱海殺人事件-1973初演版-」を観てきました

 

こんばんは!

 

今日は1年ぶりに(!)大衆演劇でない舞台を観に行ってました。

9PROJECT「熱海殺人事件-1973初演版-」です。

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私がこの舞台を観に行こうと思った理由は4つあって、1つ目は大好きな「劇団朱雀」に出演していたキャストが出ているから。2つ目はつかこうへい作品、熱海殺人事件という作品に触れてみておきたかったから。3つ目は東京へ行くのは大変でも神戸で上演してもらえるのなら行きやすいと思ったから。そして4つ目が、大衆演劇並に値段が安くて気軽にチケットを買えたから。このところ私はしょっちゅう大衆演劇に行くようになったこともあって特に4つ目の理由が大きくて。申し訳ないながらそういった軽めな気持ちで観に来た舞台だったんですね。行けるものは行っておこうという気持ちでした。

しかもそもそも今日はそのまま明石へ大衆演劇を観に行けるかなと思ってたんですよ。でも今日はそれもせずに帰ってきました。というかできませんでした。今日はこれ以外のことを考えられるはずがないと思いました。

自分でも驚くほどに心の底からの涙が出通しだったんです。上演中だけでなく上演後も。或る場面から魔法がかかったように終演まで涙がずーっとずーっと溢れて溢れて止まらなかった。こらえてたまってぼやけて瞬きして流れて、またこらえて、の繰り返し。この繰り返しが終わらないうちにラストを迎えてキャスト4名がまた現れて袖へ消えて、セットだけが残された状態になっていた。まだ心が落ち着いてなかったし心臓の高鳴りがずっと聞こえて収まってなかったけれど、自分が興奮していることだけは感じていました。帰り際に思わず明日のチケットとパンフレットを購入して、そのまま今日応援に来ていたBチームの藤原儀輝さんにまるで送り出しのように「物凄く泣いてしまって…」と声を掛けてしまったし、儀輝さんと喋っているだけでまた涙が込み上げてきたからとにかく必死でした(儀輝さんものすごく優しかった)(開演前も手首の検温と整理番号回収をしてくれた儀輝さん)(Bチームも応援してます!)。劇場を出た後も儀輝さんと話してたときに溜まった涙をごしごししながら駅へ歩いたし、その涙を自制することさえできなかったんですよ(傘とマスクがあったのでセーフ)。こんな体験は本当に初めてで。私自身人前で泣くのが苦手で、泣きながら外を歩くなんて考えられないのに、今日は顔が歪むほど三宮の歩道を歩きながら「号泣」していて。それくらいに私にとって今日は今までにない大切な日で、特別な体験ができた日になりました。こんんなに泣くとは思ってなかった………

 

諸々のこの舞台の説明等はHPを見てもらうのが一番良いと思うのでここでは省くしここからいきなりネタバレしますが、

 

ハナ子が黄色い花弁の花束で大山を全力で叩き倒して花弁を舞台中に撒き散らしたときに、ありえないほど涙が出た。あれが何の花なのか分からないけどあのハナ子(=アイ子の演者でもある)のそれは破壊的な祝福だし、"命を散らすほどの祝福"という強く濁った芳しい「香り」がマスクの上からもじわじわと強く迫り続けた。ブラックコーヒーのような風味の終盤には不思議とその花の香りは苦い香りに変わっていて、そういう「この瞬間この現場でしか味わい得なかった視覚と聴覚と嗅覚による強い衝撃」に圧倒されて涙が止まらなかった。高野愛さんの声も漲って活き活きとしているし岩崎祐也さんの声も貫通力があって迸っているし、仲道和樹さんの声も優しく熱く静かに場を捉えるし、そして小川智之さんの声は空間全体を薄ーく広ーくザラザラと自分のものにしてる感じがあって最後には智之さんしか見えなくなった。えーーーーーーーーーー…好きだな…と心底思った。最初の方は筋を追いつつも話に頭がついていけてなかったこともあって、全体を見て何か賢いことを言うことはできなくて。話の作り方というか考え方が面白いのはなんか分かるんだけど、それも作用してるのかもしれないけど、そうじゃないところで私はめちゃめちゃに泣いてしまった……。私はにおいでものを見ることが多いと思ってるんだけど、そのにおいが「におい」として「におい」という意味で迫ってきた衝撃で今も頭が痺れて感覚が変。つまり、その場に醸され漂い移ろいゆくその瞬間にしかない「空気の心の感覚」を、感じ取るだけでなく的確に「攻撃的で芯の強い確かな固いにおい」「甘く優しく温かいにおい」が「花の香り」という形で顕現して、雰囲気自体はそのままに「嗅覚」として「におい」のままこちらに直接伝わってきたという感動があった。それだけでなく視覚においても、美しき罪人に昇華した大山を、黄色い花弁の花束を叩き散らすことで、華々しくかつ荒々しく祝福したように見えた馬鹿馬鹿しいほどに「美化」をする3人も一緒に「美化」されたように見えて、その美しく咲き、強い香りを発している花が逞しく荒れ散ってゆく力強さが全てを限りなく美しくしたように思えた。大山の身体に叩きつけられたそのもどこか瑞々しく感じられて、生命であるような、はたまた祝砲であるようなエネルギッシュさを感じた。

あの花はイコールアイ子であるように思えたのだけれど(それ自体美化なのだけれど)、美化されたアイ子によって美しい罪人となった大山、そして熱く美しい言葉を吐き続ける伝兵衛、熊田、ハナ子、の全ても何より最上に美しく見えた。

この場面後、その大量の花弁が散らされた床を見ているとこの全部の感情が一気に押し寄せてそれだけで涙が溢れたし、その床の上に立っている4人を見ているだけで、そしてそこから発せられる熱く美しい言葉を聞くだけでずっとずっと涙が出た。

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ラスト、伝兵衛が一人で警視総監に報告する場面では自分の目に溜まった涙と天井からの光で伝兵衛がもやもやっとぼやけてちょうどいい照明効果みたいになっていて、なんかそれも生の舞台ありきの見え方だったというか、二度と出来ない見方だったなと思う。

とにかく今日は物語も役者さん4人も最高だったんだけどほんっっっっとうにあの「におい」が忘れられなくて。そんな演出があるんだっていう。でも4人の熱が昇って昇って昇ってMAXになったあの場面だからこそ強烈に働いたにおいなんだと思う。戯曲が放つ熱く美しい言葉たちと、物語の持つ硬さも柔さも包含した空気感と、智之さんの大きな掌握力と、高野さんのいつでも新鮮な柔軟性と、祐也さんの持つ光沢のある全力さと、仲道さんの持つ落ち着いた熱さ

智之さんは大きな大きな麻風呂敷のようだし、高野さんは槍のようでもあり優しくしなる鞭のようでもあり。そして祐也さん、水晶のような形をした真っ赤に輝く透き通った美しい宝石のように見えた。仲道さんは青く細い宝石のように見えたので対照的だった。そういうニュアンスというか、そう見えた。マイナスベクトルを持たない4人のエネルギーが、あのにおいを「あのにおい」たらしめたんだろうなと感じる。(仲道さんからはマイナスイオンは出てる気がする(笑))

 

頭の整理がついていなくて戯曲の妙については纏まらないし書けないけれど、とにかく熱く熱く、強い強い舞台だったな〜、と思ったということは書ける。私は熱海をこれしか知らないので花束の演出が他はどうか分からないけど、あの演出のおかげで私の最高の熱海になった。観に行って心底良かったし、出会えて心底良かったし、今日のこの作品との邂逅のきっかけになった全てに感謝をしたい気持ちでいる。

生きた「美しい」に出会って涙を流す瞬間が最高に幸せ!!!!!!と改めて思えた。素敵な時間を本当にありがとうございました!!

 

 

 

 

劇団朱雀復活公演【岐阜】〜情緒の宇宙旅行〜

 

 

劇団朱雀in岐阜。やっとちゃんと言語化できそうなので書きます!

9か月経ったので新鮮さもへったくれもないですが、覚えている分だけをメモしておきます^^(太一さん29歳のお誕生日おめでとうございます!!)

 

本当は行くつもりがなかったんですよ岐阜は。機材開放席を買うときに競争率が低そうという理由で取った岐阜。行って大正解!!行ってなきゃ後悔してた。レポ見ながら羨ましくて泣いてたはず。結局人生初の当券チャレンジもして2公演行きました。

思い起こそうにも何が何やらでちょっと覚えてないことが多かったので端折り端折り1日目からメモ書きしていく。

12月20日の夜公演。

1部。ほっとんど覚えてない。「たまゆら」「男人生夢一路」「華ざかり」「風ゆらら」「艶姿…恋絵巻」の回なんですが、えーっと、東京より表情が活き活きしててたり柔らかかったりでリラックスしてるなぁと思ったのと、客席側からほわっほわ溢れるウェルカム感と、太一さんの舞踊のときの客席カメラ率の多さと、お花をつけにいく人たちにびっくりし通しだったのがせめて記憶から絞り出した感想。あと陽之介さんの踊りがやっぱり好き。そして風ゆららがめっちゃ良かったです。特に良かったことしか覚えてない、ビジュアル一切記憶から飛んでる。既に幻になった。

ちなみにこれは2月くらいに思い起こしながら書いたメモです。この時点で幻。

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2部

らくだの馬

私この日母親を連れてってたんですが、なんでよりにもよってこの回だったんだろう!wwとなりました。私の母、「マカロンの国で生まれ育ったマシュマロ」なんですよ(?)。THEふわふわかわいい世界の住人なんですね(なんとなく伝わって)。そんな母親が初めて観劇するお芝居としてはあまりにぶっ飛びすぎてました!!もっとこうなんか、あったじゃん!!なんで!!こんな!!ひどい!!大好き!!!となりました。そして私も大衆演劇のお芝居は「遠州森の石松」「仇討ち甲州街道」しか観たことがなく、めちゃくちゃ油断してたので不意打ちにも程があって風邪引きそうでした。岐阜はヤバいという情報は入れていたものの、そうは言っても涙誘う義理人情ものが来る感じで身構えてたのでちょっと待って!?笑 となった。そっちの心構えはできてないからちょっと待ってくれ。

 

〜「らくだの馬」のココがヤバい!〜

◯演題にもなってる「らくだの馬」という男、幕が開いて登場して3分で落命

やばくないです!?幕が開いたら「兄貴遅いな〜」と言って兄貴を待ってた創さん(馬)がいまして、兄貴が来る前に先にフグ鍋をつつこうとしてたんですが、誰の入れ知恵かニッコニコしながら「フグの肝の生煮えがフグ鍋で1番の絶品」とか言ってパクッと肝を食べたらどんどん身体が痺れていって即お陀仏でした。まじか。義理人情ものしか知らない私、ここ笑うとこなのか!?って一瞬ビビった(ちゃんと笑うとこでした)。舞台上で倒れて動けなくなった馬くん。奥から出てきた兄貴が転がった死体を見つけて「これどうすんだよ!!」ってなるのが事の始まり。兄貴はもちろん陽之介さんです。

 

◯日本の宝早乙女太一、不細工メイクで登場

これは岐阜の風物詩みたいになってたみたいですが私は早乙女太一の不細工メイク初見だったので「ねえ宝ww」ってなった。下手の奥の方から「くずやー!なんでも回収いたします!」(ニュアンス)みたいなすっとんきょうな声が聞こえてきて、太一さん出てくるなワクワク〜と思ったらオレンジの法被に10円ハゲの猫背不細工メイク施したお兄さんが出てきた。おじさんのつもりだろうけどいかんせん声が高いのでお兄さんという感じ。ちなみに屑屋が舞台上に現れる前になかなか裏から出て来なくて『迷子になりやした!どこに行けばいいですか!』「どこにいるんだよ」『ドンキです』「ドンキにいるんなら仕方ないな、8階に来い」『へい分かりやした』「ダイソーが5階だから間違えるんじゃないぞ」みたいな感じで1くだりある。ぎ、岐阜〜〜!!!!不細工メイク屑屋早乙女太一が現れた時の客席、笑い声と驚いてる声と悲鳴が混じってて面白かった。(会話はニュアンスなので語尾が違ったりするかもしれない、大目に見てください!)

 

えっとすみません一旦中断するんですけど、この「らくだの馬」アドリブ合戦が面白すぎてその印象が濃すぎて(そして中身があまりに無さすぎて)細かいこと全然思い出せないし何より結末が思い出せないので(笑)、あらすじ語るの諦めます!知りたい方は他の方のブログを読んでみてください(丸投げ他力本願!)…笑 とりあえず馬くんがふぐの肝食べて死んじゃったので、困り果てた兄貴が偶然通りかかった屑屋を引き止めて処分を頼む、みたいな始まり方です。まあ当然死人を持ってく屑屋なんて居ないので、結局けちんぼ大家さんからお通夜を上げる分のスルメやらお酒やらを2人でどうにかこうにか取り立てる算段を立てる、みたいなそんな感じです。で、このお芝居のとんでもないところは「スルメや酒を取り立ててお通夜を上げる」がゴールではなく、メインは「取り立てるまでの練習」「取り立てた後、2人で上げたお通夜での兄貴VS屑屋ズッコケドタバタ親子劇場」です(笑)!!(割とあっさりスルメと酒はゲットできちゃう)(大家さんは了くん、大家さんの娘はトミーでした)(けちんぼなお爺さん役が似合いすぎる了くん)

まあ、というわけで、細かいあらすじは諦めてとんでもなかったアドリブを覚えてる分だけ書きます!(笑)

 

江戸時代屑屋さん「甘茶(あまちゃ)は嫌い!ジャスミンティーがいい!」

「死んだ馬を無理矢理立たせて操り人形のようにして、屑屋が後ろでコッソリ動かしながら踊らせたら『死人が踊った!』って大家さんも驚いて怖がって弱気になるんじゃないか」みたいなやっつけ策で大家さんからスルメと酒を脅し取ろうとする2人。屑屋が馬くんを操る練習をします。兄貴が「かっぽれ、かっぽれ、甘茶でかっぽれ」と拍子を取るとチャンチャカと音楽が流れ始めて、馬くんを踊らせる練習をします。(客席は手拍子!楽しい!)

ですがそう上手くは行かず、屑屋が「甘茶は嫌い」と駄々をこね始めます。「じゃあ何ならいいんだよ」と兄貴が聞くとジャスミンティー!!」という答えが返ってきました!!何時代ですか????wwでもしょうがないから「かっぽれ、かっぽれ、ジャスミンティーでかっぽれ」と拍子を取ってあげようとする兄貴(やさしい)(纏がないとやる気がしないガロと仕方なく作ってあげるリオを思い出した(プロメア))でも「(拍子に合わず)語呂が悪ぃじゃねえか!!」って結局甘茶で落ち着きます。何このくだり!??w(これが岐阜か………)

あ、「かっぽれをラップで」っていう注文が屑屋から入ったときは陽之介兄貴、「ラップは祐也だろ」とかいう秀逸な返ししてました。

あと兄貴の家で練習してるとき、屑屋が「するめを3枚」って言うところで「とぅるめをたんまいッ!!」って何度も何度も言ってしまうから兄貴にシバかれまくってなかなか話が前に進まなかったりもした。ジワジワ来る。

 

◯自律神経どっか行っちゃった死人・

創さんのおふざけもあるけどそれも半分くらい太一さんと陽之介さんが悪い…!wwというのも、基本創さんは死人としていい子にしてるんですが(死人としていい子にしてるって何?)(太一さん屑屋が袖からタンブラー(グッズの)とかっぱえびせんを持って現れて花道にデンと座って飲み食いして、陽之介兄貴にドヤされてたときに、屑屋と一緒になってちっちゃく正座して食べてた創さん馬はとっても律儀ないい子でした。(陽之介さん「お前死人だろ!!??」))屑屋に踊らされてる間に屑屋が馬くんの変なところ(乳首とか…)触るからピクピク動いて笑いを堪えるのに必死な馬(超かわいそう)。これは我慢しろと言う方が無茶です!!

でも創さん、踊らされている間に勝手にピョコピョコ客席に飛び出して行ったりします。兄貴と屑屋を舞台上に置き去りにして一人で自由にちょこちょこ走って行く馬(帰って来たヨッパライが後ろで流れてた気がする)。走って行くだけならまだしも、なんと馬、空席にちょこんと座ったり(死人メイクだからかなり異様)、そればかりか通りすがりにお客さんの白いカバンをスってちゃっかり舞台の上に帰ってきますwwww(屑屋「何やってんだ!!w」(返しに行く))人は死ぬと自律神経が迷子になるようです!!

 

◯色気ゼロ・早乙女太一

馬の通夜になるとまた陽之介さんと太一さん2人のやりとりに戻るんですが、兄貴に「女になって俺にお酌しろ」と命令された屑屋が仕方なく、肩を右だけ出してお姉さん座りして鼻から声を出して、お色気を模索し始めます。ただ、いかんせん顔が不細工に仕上がってる上に筋骨隆々な肩をモリモリがっつり出しちゃってるせいで、女らしくしたつもりなのに色気がドゼロな早乙女太一の出来上がりです(なんと珍しい)!!

 

◯「お前が俺の乳吸うからだよ」「吸ってねえ!」

屑屋が酔っ払ってから全く立場が逆転し、屑屋が兄貴にされたこと(女のフリしてお酌、頭へのシバき)を全部兄貴にやり返す屑屋。屑屋の言われるがままにお姉さん座りをし、屑屋に脱がされる形で右肩を出す兄貴(陽之介さん)。

すると太一さんが「おい乳が汚えな乳が!!俺はピンクがいいんだよ」と言い出し、

陽之介さんは「歳なんだから仕方ねえだろお前年上好きだろ??色はお前が吸うからだよ!!!!」と声を荒げますが、

太一さんに「吸ってねえ!wwなんで母親居ねえとき俺が父親の乳吸うんだよおかしいだろ!!」と真っ当すぎるツッコミを受けます。

陽之介さんも負けずに「父親は家に居ない方がいいんだよ!見てきただろ!!!!」と張り合いますが、

すかさず太一さん「反面教師だよ!!!!!!!!!!」

wwww西村家ーーーーーー!!!!!!!!!!!

客席もヒィヒィ笑ってたしとにかく笑いすぎてお腹ちぎれそうになった。勢いは止まらず、そのまま女のフリして鼻から抜けた高い声を絞り出した陽之介さんに屑屋太一さん「バケモノか!!!!!!?」のツッコミ…wwひどいww

こんな感じで、最初からずっと陽之介兄貴にペコペコしてされるがままだった太一屑屋が一転、ノリにノりまくり、柔らかくしなり良い音を立てる白い筒で父親をシバきまくります(笑)陽之介さん「頭皮が取れそう、頭皮が取れそうだから」って言ってずっと忠告してたのに太一さんがシバきすぎて結局陽之介さんの鬘が取れてツルツルになっちゃうし「何本壊れてもいいようにいっっっっぱい用意してあるんだよ!!!!!!!!」って後方に置いてた籠からすごい量の筒を取り出してボコスカしばきまくる太一さん、もう誰にも止められない無敵状態でめちゃくちゃ笑った。

 

◯「友貴ッッ!!!!!!💢💢」

ヒートアップした太一さん、ふと我に返って「なんで俺たちしか今日喋んねえんだよ!!みんな楽しやがって!!」って言い出したのには流石に陽之介さんも「お前が総合プロデューサーだろうが!!!!!www」ってツッコんでた。その通り!!!!w

太一さん「誰か出てこい!おい友貴!!!!!友貴!!!!!!💢💢」出てきたのは……………………\\\祐也/// →太一さん「なんでだよお前呼んでねえよ友貴出せよ!!……友貴だよ!!!!!」みたいな流れもあった。もう屑屋と兄貴どこ行った?????w

 

みたいなすったもんだの強烈アドリブ合戦がありまして、内容が全部頭から飛んじゃいました。めちゃくちゃ楽しかったです!石松の時みたいに泣く気まんまんで第二部に臨んだのに次の日の腹筋の筋肉痛を心配するほどお腹よじって笑った。とんでもないお芝居でした!!!

 

本当に楽しすぎた喜劇でした!でも、今になって「金太初旅」という大衆演劇の同じようなほぼ二人芝居の喜劇で兄貴役をやった陽之介さんを観たことがあるから思うんだけど、身内ネタを出したりカツラ取れたりするのは割と喜劇のテッパンなのかな〜〜!と思った。太一さんと陽之介さんとの間で十何年間染み付いたそういうやり取りの形があるからこその、信頼関係のもとで成り立つあの掛け合いとテンポ感と面白さだったんだなと思う。(ちなみにこの前アドリブの流れで陽之介さんから身内ネタが出たときに鍵で出してた簡易レポがあるのでちょっと置いておきます^^(相方は劇団鯱座長の朝陽政次さん)(陽之介さんとは葵一門の劇団員時代からの付き合い。途中に若座長の兜獅子丸さんも出てくる)

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あとこれはオマケ。

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脱線しましたが3部も書きます!

3部

この日の3部は結構覚えてます。まず東京公演の感じで「まってたよーーーー!」を言う気まんまんだった私。MATA©︎TANAが衝撃的なほど楽しすぎた&嬉しすぎたんですね、東京で。で、叫ぶ準備をしてたわけですけど、どうも様子が違って。待ってたかい?も待ってたよー!もなく、幕が開いて出てきたのは広い袴を履いてトンチキ鼻眼鏡をして扇子を開いて愉快に踊ってる太一さんたちでした。MATA©︎TANAじゃなかったんです、FUNK FUJIYAMAだったんです!!(笑)呆気に取られて見てるうちに太一さんが「みなさんもご一緒にー!」みたいな煽り方をするんだけど、びっくりしすぎてポカン…としながら見てました。こんな始まり方、あるんだ!!ふわふわな気持ちで観てた。ゆるっっゆるな良さがありました。

星降る街角で「陽之介さん歌うんだ!?」という驚きがあり、やくざ若衆祭り唄の独特の軽快な三味線の音に乗せて楽しい気持ちになった。

そしてめちゃくちゃ貴重な瞬間に立ち会えました。ゆっくんあゆちゃんの初の相舞踊でした!!夏恋囃子。甘酸っぱくて爽やかで、仲良し兄妹幸せオーラのお裾分け音頭、みたいな感じだった。ピンク色と黄緑色の明るく淡いオーラが空間を満たしているような。色違いの団扇を持って、納涼♡みたいな感じ。心がほわほわっとキュッとするような相舞踊でした!いいな!23歳と18歳、仲良しきょーだい!ほっこり!

ゆっくんあゆちゃんの幸せオーラを漂わせたまま暗転する舞台。そこに、ポツリ、と現れたのは孤独に一人佇む長兄、太一さんでした。心がギュン、となった。意図してか偶然か分からないけど、「長兄太一さん/仲良しゆっあゆ」の構図を感じてしまって。更にそこで、静かに哀しく「男と女の間には深くて暗い川がある」と歌う桑田佳祐黒の舟唄です。ゆっあゆの幸せな残り香の中で孤独にエンヤコラ今夜も舟を漕ぐ太一さん…とか考えてしまって頭抱えた。Row and Row………振り返るなRow……………太一さん、陰だとか背負うだとか暗い孤独だとかがあまりに似合ってしまいすぎるんですよね…

兄弟妹のことを考えてしまって心が敏感になっていたのにいきなりジャーンジャーンジャン!!ってカッコいいサウンドが流れ始めるからびっくりしたんですけど、天道虫でした。びっくりですよ。さっきまでRow and Rowしてた太一さんがいきなり超絶アクロバットしながら客席降りして扇子ぐるっぐる回したり走ったり自らもぐるんぐるん空中で回ったりするんですよ。バク転しながらステージ戻るし。創さんは影ナレで「早乙女太一が帰って参りました!」とか言うし。こんなアクロバティックな太一さん初めて見たから「曲芸者????」って思った。ぐるっぐるしすぎて扇子落としてたけどそれで興奮が冷めるなんてことも全くなく、ずっと開いた口が塞がらなかった。なにこのショー!!??大衆演劇って何!!!???

この夏恋囃子〜黒の舟唄〜天道虫 で情緒を乱しまくったので次の異邦人の記憶があまりないけど、奈々さんが艶やかで美しかった。あとかっこいい。

ラストは舟唄組曲でした!色遣いの影響なのか、ちょっと夜叉丸(蒼の乱)を彷彿とさせる見た目だった。あと太一さん長髪を垂らしてたんだけどめっっっっっちゃくちゃかっこよかった(ストレートな感想)。長髪を振り乱してソーランソーランしてた群舞、「荒ぶる海を司る」という感じで粋なのに壮大だった。漁師というよりは、なんか、「海を司る力を持つ者たち」みたいな。なんか存在が波のような感じだった。ソーラン節って大抵の人にすごく馴染みがあるから一体感があっていいな!と思いました。

最後は千本桜(RAPあり)でした!楽しかったーーー!!!!

 

 

続いて2日目も行っちゃいます!

12月21日 昼

1部

初っ端、酒供養でした!キャッキャウフフな太一さん、可愛らしい太一さんが観れた。客席も湧いてて、隣の方も「この曲は人気」って教えてくれたんですけど人気の理由がすぐ分かった。「♪ふっふっふー」\ フゥー!/ の合いの手が楽しすぎるし……。可愛く酔って足ちょいって上げたりする、上品な陽気さを醸す太一さんを「フゥー!」って冷やかしてるような感じがもう幸せだった。客席と作ってる舞台なんだな〜…

リンゴ追分恋人も濡れる街角それは恋、ほとんど覚えてないです…酒供養に記憶を持ってかれた……ただ陽之介さんかっこいいなと思った記憶と、「正統」感ある太一さんの白く上品な着物と美しく結えてある黒髪が綺麗だったな〜という記憶はある。

雪深々は白髪女形の太一さんに見惚れた記憶があります。

 

2部

大江戸喧嘩纏でした!「火のない〜」の元ネタだというのは後から知った。サラッとしか覚えてないのでサラッと触れます!

め組で修行に励む金次(太一さん)と銀次(ゆっくん)ですが、め組の頭(陽之介さん)が番外組(頭は創さん)に纏を取られて殺されてしまいます。駆け寄る金銀、「かしらーーー!」と叫んで悲しむ金銀……と思ったら頭、生き返ります(笑)頭「だって呼んだから」めちゃくちゃ雑なボケ方!!(笑)そして頭は最期に言っておきたいこととして、「俺の弔いが済むまで、俺の仇を討とうだなんて思うなよ」と言い、「棚の3番目の引き出しに入ってる文だけは女房に見つからねえように捨ててくれ」「携帯の履歴は全部消せ。LINEも」とか言いますw 金次と銀次、困惑。金次「けーたいって何ですか???」結局金次が笑いながら頭を殴って、頭は死んじゃう。金次「すまねえーーー!!!」ww

頭が死んでしまい、纏を取り返しに行きたい金次と銀次であったが、遺言のため番外組のところに殴り込みに行くことができない。纏のないめ組は馬鹿にされ笑われる一方。そこで金次は、酔った勢いに見せかけて適当な言葉を並べて、姐さん(奈々さん)に盃を水にしてもらいます。銀次は「俺は兄貴に憧れてめ組に入ったのに!!!」と当惑し怒りますが、金次は「ありがとぅーー☆」とふざけて言いながら去って行きます。弔いが済むまでに我慢が効かなかった金次は、お世話になっため組と縁を切ることで、仇を取りに行こうとしたんですねーー…。気付いた銀次が金次を追ってきたときの金次の「そうかい、俺の気持ちに気付いてくれたかい」がめちゃくちゃ好きだったし痺れた。言い方も台詞も。で、仇を討ちます。金次銀次で纏を使って2回ほど踊ったりしたのが最高でしたね……。互いのターンがある。

 

3部

待ちに待ったMATA©︎TANAでした!!なんせ昨日FUNK FUJIYAMAで面食らってたので(FUNK FUJIYAMAも楽しかったけど)、別の意味での「まってたよーー!」でもありました(笑)東京公演終わったときからまた言いたくて堪らなかったし、この赤く騒がしい光をもう一度待ってた!!!!!!!!!1週間前に観ただけでこんなにも恋しくなっていたのに、5年待った方達はどれだけこの空気を待ち焦がれていただろうと思うと想像を絶する。号泣するほど復活が嬉しかっただろうな……と思ったり。

MATA©︎TANAの影響で他の曲いろいろ記憶から飛んじゃってるんですけど(ミ・アモーレとか風唄とか愛情とか)、その中にあったシャナナ☆は忘れられない。曲が始まると同時、くらいから客席がザワザワし始めて、その客席の空気からもう鳥肌が立った。なんかすごいの始まるんだろうなみたいな。歌って踊るなおちゃんと、夢の中の景色のような舞台上の光景。あんなに確固としていて、光を集めて、美しく輝く衣装があるんだ……と思った。幸せを振り撒くように軽やかに跳ねながら踊る5人が信じられないほどに透き通った明るい光に充ち満ちていて、でも確かに舞台上に居てなおちゃんの力強く優しい歌声がその確かさを強く認識させてくれるような心地がして、「幸せがここにある」という感覚になった。思い出すだけでも涙が出そうだし、本当に辛い時に朱雀のあのシャナナ☆を観たら「私にも注がれる光がある」という気持ちにさせてくれるだろうな、と思う。という意味で、あのシャナナ☆は世界を救うと思うんですよね…(本気)。例えば、光が鋭く激しく強すぎるせいで「影」との乖離を感じて光を遠くに感じ、辛くなることってあるけど、シャナナ☆の光はそうじゃなく、寄り添ってくれる光、降り注いでくれる光、ひたすらに温かい慈愛の光なんですよね。まなちゃんなおちゃんあゆちゃんの後ろで、しっかりと力強く花を添える早乙女兄弟にもウルっと来た。

シャナナ☆の次は祭男爵だったんですが、祭男爵をずっと待ってたかのように鞄からバチを取り出して完コピしてるお客さんが近くにいて物凄かった。愛…!!観客も踊るタイプのやつ。まなちゃんが客席降りのときにそのお客さんに気付いて一緒にバチ合わせて踊ってた。楽しい!!!!!

風唄と愛情の後は乱の舟唄、ゆっくんです。私はずっと踊りに関して「太一さんは人間離れした人格で、ゆっくんは人間」みたいに思ってたんですよ(太一さん、別に神とかじゃなく、巫女、みたいなそんな感じ)。変な言い方だし踊りのみに限った勝手なイメージだけど、太一さんは「捧げる人」、陽之介さんは「寿ぐ人」、ゆっくんは「生きる人」みたいな踊りだなという感じがものすごくするんですよね(中でも私は陽之介さんの踊りがめちゃくちゃ好きです)。でもこの乱の舟唄に関しては、「人から神になる途中」みたいな感じがして身震いがした。さっき挙げたどれでもなく。神々しく強い光を感じたような気がして、ザワザワっとした。「ヤバい!!」と思った。あと長物をパシィ!って床板に叩きつけるのが好きでした。

陽之介さんのよせばいいのには創さんの影ナレコール「陽ちゃん」が今でも鮮明に思い出せる。陽之介さんニヤニヤしてて可愛い〜〜〜〜…………!!!!!

そしてラストはShake Hip!!でした!幸せまみれだった。こんな楽しいものが残されていたのが衝撃だった。舞台上でみんなが両手ピースをすると客席も両手ピースで返して、リズムを作ってパンパン手を叩くと、またパンパン手を叩き返して。ハッピーオーラで泣いてしまう。心が潤った。楽しいし幸せな時間がこれで終わってしまう寂しさもあり。一生続けばいいのに…!と思った。

アンコールは千本桜(ラップあり)だったんですけどもう間奏でラップがないと物足りなくなってしまいましたね^^

 

 

というような感じの岐阜の2日間でした!お花の文化にも驚いたしお芝居の何でもアリ感にも驚いたし、送り出しの文化にも驚いたし。でも、驚いたとはいえ割と冷静に見れていて、それは私が東京公演の直後に違う劇団の大衆演劇を観に行っていて、あまりに舞台上と小屋と客席が一体化した様を見ていたからなんですね。それ故に、岐阜に行ったからこそ分かる「客席と舞台上とで作り上げる朱雀の大衆演劇」が観れたのかなというのを感じることができました。

楽しかった!!!!

また朱雀の大衆演劇が観たくなってしまったので次はほんとの「まってたよー!」が言えるように心の準備をしておきます!!

 

改めて、太一さん29歳のお誕生日おめでとうございます!!!!(ちょうど今日!)

THE LIMIT OF SLEEPING BEAUTY(2017年公開)を観た当時の感想(ネタバレあり)

 

当時高校生だった私が鮮度高めのまま感想を保存してた記録を発見したので貼っておきます。ちょっと稚拙だけど読んでたら当時のことが結構鮮明に蘇ってきたのでここにコピペして置いとく。

2018年2月15日にアップしてたもの。

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THE LIMIT OF SLEEPING BEAUTY (リミスリ)という映画を11月中旬に見に行きました。わたしの中で「映画」の概念が覆った印象的、衝撃的な映画でした。この16年間で観た映画はリミスリしかない、と言いたくなるほどに純粋に「映画」だったんです(他の作品を否定するわけでは全くなく、ただリミスリがテレビで魅せられるものの延長上にあるものでは全くなかった、とただ言いたいんです。延長上に置いて魅せる作品も、あると思います)。

 


物語を纏めるということはここではしません。なぜならわたしには追えきれなかったから。なにしろ時間の流れがこれでもかというほど交差していたし、ひとつひとつの場面が強い光を放ちすぎていて一回一回身体中を駆け巡るような心地になっていて(本当に)。監督の頭の中をそのまま作品にした感じ、という表現を高橋一生さんがしていましたが、そうなんだと思うんです。頭の中って誰しも理路整然とした作りにはなっていないはず。私もそうだしみんなそうで、ごちゃごちゃっとした中に深いところを見つけ出して奥深くまで入って行って1つの境地に辿り着けたりだとか、逆にごちゃごちゃな中こねくり回して深みにハマってしまったりだとか。というか、頭の中はごちゃごちゃになっているからこそ、頭の外に出してペンやらスマホやらキーボードやらを使って「頭を整理する」作業というのをするわけですよね。私が今まで見てきた作品は全てその「頭で整理」されたあとの作品でした。スッキリしているし、仮に終わり方がスッキリしたものでなくてもストンと落ちる何かがある、あるいはストンと落ちさせないような意図がそこに働いていることが自ずと分かる。

きっと監督はものすごく勘が鋭く、頭の良い方なんだろうと思います。時間の流れをごちゃごちゃにするこの手法は「スポットライト理論」という理論に基づいているそうなのですが、これによって作品を「客観視しながら映像にのめり込んで観る」という観方ではなく「頭の中でぐるぐる繰り広げられていることを体感する」というふうに、限りなく主観に近い形で観ることが出来たんです。すごい効果だなぁと思います。だから私は実際、映画を観終わったあとしばらくずっと「わたしはアキだ」潜在的に感じ続けているような感覚でしたし、いや違うんだけれども、疑ってなかった。本当に今考えると不思議な感覚だったんです。魔法にかけられていた。わたしはアキで、あれは全てわたしが体験したことで。わたしの楽しみも「夢」も苦しみも痛みも快楽も絶望も羞恥も尊厳も、全部あの中にある、あの映画の中に全て詰まって映像となって生きている、そうやって思いましたし今でも思います。

すごく逆説的な表現だなとも思いました。主軸が置かれている場所は、都会の小さなサーカス団。この時点で、多くの人が身近に感じ得る設定だとは言い難い。だからこそどこかへ「連れて行かれる」感覚を覚えるのですが、でもアキ自身は「家出をして1人で都会へ飛び出してきた少女」だったわけですよね。そこは私達と重ね合わせることが出来ます。状況の深刻さは違えど、家族と折が合わなくなって「ああもう家出したい…」って思ってしまったことがある人って割と多いと思います、私もあります。だからこそこの設定で、アキは「わたしのもしかしたら」になりうるしそういう目で観ることができる。屋上の空間やサーカス団など、虚像空間のように見えれば見えるほど限りなく美しくて、とにかくちょっと異空間のように見えてしまう(とはいえどこかに俗っぽい近さも感じるけれどそれも効果のうちだとは思う)のに、そこに迷い込む主人公はすごく自分に親しくて。しかも自分のキレイなところならいいけど自分の少し闇深いところ、マイナスの感情から生まれ出た行動(=家出)から共感を得たのがアキだから余計に客観視することを妨げて知らず識らずのうちにアキの中に自分が入っていく。そういう感覚でした。

 


ぐるぐると目まぐるしく場面が変わり、急激に進み移り変わり戻りを繰り返す「それ」は本当に頭の中でよく起こる「それ」で、「頭の中を体験している」といった心地でした。冒頭でジョーがアキのジントニックに薬のような何かを落とすと思うのですが、あのあとグルグルグル、と時が回るような演出があった。あれで観ている側も持って行かれたな、と思います。

 


アキはバグを起こして精神疾患のような状態になりますが、あれもどこか近いところを感じて。あくまで「頭の中」を映像化したようなイメージで観ているので余計に。頭の中でなにかをこねくり回しすぎて塞いじゃうことってないですか。あれに少し近い状態で、周りにどんなに揺り動かされてもアクションをかけられても私としてはビクともしないし逆に反抗的になってしまう。あまり上手く表現できないのですがあのアキの姿を見ても「わたしだ」と確かに思ったしむしろあの姿に一番自分を投影できたかもしれない、というくらいになにか、とにかく近かった。

迎えたクライマックス(アキとブッチの)はとても印象的で、それまでは暗く濃い色が多く使われていたけれど、あの場面で一気に光が差し込んだ。白い世界になった。そして半狂乱的に放った弾は標的に当たり、紅紅しい血の色でなくそれはカラフルな絵の具の飛沫となってそこらじゅうの白を色付けた。限りなく美しかった。主人公が無差別的に銃を放ち続けるという描写は客観的に見て倫理的にちょっと、と思われるようなこともあるかもしれないけどそれが逆に気持ちがいい、と思った。あくまでもわたしはアキだから、わたしの頭の中ぜーーんぶアキだから。そうやって(あれはアキの半生であり、私の頭の中を1人の人間の物語にすり替えて、その物語を頭の中で再生する、というようにして)観てるから、当然あの映画を観たあとはどっと疲れた心地がした。けど同時にこれまでにない、この世界に存在しうる言葉では絶対に表現できないひとつの「気持ち」が生まれて、それはきっと表現できないししてはいけない、表現してしまったらそれだけで陳腐になってしまう、と思われるほど大きな(大きな、という漠然とした言葉で形容するのが精一杯なほどの)気持ちだったんです。

 


家に帰っても次の日になっても言葉を使えませんでした。リミスリに関して何も言葉を出せなかった。出してしまうと「それ」だけになっちゃうから、しばらく放っておこうと。でもリミスリ以外に関する言葉もリミスリの純度を保っていたかったから使えないし。ただ使用されていた音楽を聴いて自分では意味の分かっていない無自覚な涙を流したりただ気分に任せて何となくヘラヘラ笑ってみたり。感情のまま制御が効かずに、まだわたしはあの瞬間たしかに「アキ」でしかありませんでした。

映画を観終わった後ずーんと圧倒されてなかなか立ち上がれずに、結局シアターを出たとき既にお客さんは私以外殆どいませんでした。全然あのときは「周りに変な目で見られやしないか」なんて一切考えずにシアターに向かって礼をしました。この空間の中にわたしを置いてきたんだ、と思って礼をしました。ぼうっとしながら本来買うつもりのなかったパンフレットを買い、それを胸に抱きしめてふらふらと帰りました。家に帰っても何も言わず何も発さず、「どうだった?よかった?」と親に聞かれても「うん」と頷くことさえ憚られて、「よかったんじゃなくて」とか「どう、とかじゃなくて」とか、ゴニョゴニョ喋って、「よくわかんない」と言って、そのまま世界に入り込んでしまいました(お母さんごめんね)。たしかにあの瞬間「アキ」でした。とにかく大切なものを観て大切な気持ちが生まれた、という気持ちになりました。パンフレットは胸に抱いたままで、そのまま眠りこけてしまいました。次の日になっても胸に抱いたままだったパンフレットは開けず、「これはわたしの頭の中が詰まった宝箱だから開けてはいけない」とずーっと思って過ごしていました。ちょっとだけペラペラめくって「まだダメ」とパタン、と閉じて、ぎゅうっと抱きしめて、の繰り返しでした。あんなに大好きな直虎さえその夜見られる気がしていませんでした(結局見たしいつものように何時間も余韻に浸ったけれど)。

それほどとにかく大きくて大切な作品でした。リミスリは、作品と映画館と私が1つになったような感覚になった映画でした。高橋一生さんが出演していなければ観ることのなかった映画でしたが、高橋一生さんではなく「作品そのもの」を全力で堪能することができた映画で、そんな作品に出会えて心底幸せだなと感じました。様々な巡り合わせに心から感謝してます。

直虎と並んで、大きく大きく影響された作品です。2017年、素敵な年でした。

 

 

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リミスリを観たあとは本当に必死だったんですよ。頭と心がとにかく必死でした。言葉も使えないし、自分がどうしたらいいのか皆目分かりませんでした。というのがなんかまあ伝われば良いかなと思います(笑)THE LIMIT OF SLEEPING BEAUTY、円盤は買おうと思うんだけど絶対に家で再生しないと思う。いつか、遠い未来であっても必ずいつか、小さくてもシアターを作って、そこでリミスリを上映するのが密かな夢です。あの映画は映画館でしか体験できないと思うので。

8月24日、深夜3時の書き起こし

どうもこんばんは!8月24日深夜3時のインスタライブ、どうせ書き起こそうと思ってたのでもうここにまとめて書いちゃいます。端折れるところほぼ無かったので結構そのまんま書き起こしてます。

私がお風呂から上がってインスタを開いたのが2時50分、すでに太一さんと祐也さんがコラボしてたので慌てて開いたのですが、コラボして間もない感じでした。

それぞれの家からお酒を片手に始まってたコラボ。祐也さんの手にはレモンスカッシュ、太一さんの手にはウーロンハイ(高濃度)。

 

◯二人が今日どこかで何かを見て(観て)『感受』してきたくだり

祐「あなたあんま飲んでないよね」

太「わたし飲んでないんです。いっぱいやっぱ、いろいろ感受すると身体の中に満ち溢れますね」

祐「こっから俺飲んじゃうと、バーって『出ちゃう』」

太「出ちゃいますね、今は心にも体にもいろいろ溜まっちゃってるもんね」

祐「『受けちゃってる』ので」

太「受けちゃったら出したくなっちゃうもんね」

祐「そういう困ったときはレモンスカッシュ。(インスタライブコラボで太一さんと)繋がったものの、全部喋れないからあれだけど。喋れることと喋れないことがあるもんね、「アレ」があるから」(?)

太「今日はね、頑張っている人を見て。頑張ってたり戦ってる姿を見て、感じて。元気を貰いましたね」

祐「普段は劇団でやるときにはダーーーーって与える方じゃないですか」

太「自分が出す方ね」

祐「そういう毎日だったけど、この時期になって自分もコロナで仕事が出来ないってなった時に頑張ってる人を見るとね。自分も頑張ってるときにはなかなか受け取れなくないですか?こんなにも受け身全開というか、『受け手』の度合いが強い感じでした」

太「お客さんの感覚に近いのかもしれないね」

祐「ですよ」

太「元気モリモリやあ。モリモリでしょ?エネルギーになりましたね」

祐「モリモリです」

 

◯太一さんが悩みをどう解決するか

祐「この時間に起きてる人って何かお悩みの人が多いのかもしれないですねw」

太「悩んでない人の方が少ないよね」

祐「悩んだりするんですか、早乙女さん」

太「僕悩みそうにないですか?」

祐「なんか自分でパッと解決しそうなイメージがあるんじゃないですか、皆さんは(太一さんに対して)」

太「そんなパッとは解決できないでしょ」

祐「どうやって解決に導くんですか」

太「解決…うーん、やっぱ悩みって、自分一人で解決できる悩みじゃなくなってくるでしょ、仕事になると」

祐「チームでやってたり期限があったりいろいろありますよね」

太「そんな中、自分のモチベーションとかスタンスは自分の中で変えられたとしても、それだけではどうにもできないことは出てくる。仕事だと。どんな仕事でも。人と人との関わりだから。あとは好きな仕事とか嫌いな仕事もあるだろうし、自分がしたくない仕事もしなきゃいけないこともあるだろうし。そういった中で諦めなきゃいけないことも出てくるから。ただその『諦め』っていうのは決して『逃げ』とか『負け』とかじゃなくて、僕は『ここを諦めるんだったらここは絶対に諦めない』っていうところを作る。そうすると悩みも、諦めたりしなきゃいけないのも割と我慢出来たり。その分絶対『こっち』でなんとかしようってことを(決める)。全部を諦めることは出来ないかな」

祐「逆でいうと、譲らんところを決めるってことね」

太「そうね。あとは絶対それを自分のプラスに。イヤな事をしなきゃいけないんだったらそれ自身も自分のプラスに出来るようにしないと」

祐「『ストレス解消法を教えてください』とかあるけど、そういうことを解決していくことが一番のストレス解消法だよね」

太「自分の軸にあるものが解決しないと。たとえ飲んだとて人と遊んだとて解消されない」

祐「あなた昔から『ストレス解消法は何ですか』って聞かれても『ない』って答えてたもんねw」

太「そうね。……見ないようにする人多いもんね」

祐「俺もどっちかというとそっちのタイプ。だからストレス解消しよう、みたいな」

 

◯「やりたい1」があれば「イヤな9」も頑張れるということ / そうじゃなく「やりたい1」が分からないということ

太「あと俺一番大きいのは、目標に到達する事をそんなに考えてないかも、っていうのが大きいな。『目標に向かってる』っていうので良いというか。目の前の結果はそんなに大事な事じゃないなと思って。そこに向かってどれだけ努力できてるかとか、どれだけ自分の身に付く事できてるかとか、その方が大事かな。別に目標なんてすぐに叶うものじゃないし。でも一番良くない状況は『頑張らない』っていう状況が、俺は今までの人生の中で一番キツかったから、それだけは。俺は「1」「10」あったら、「1」自分の好きなことができるなら「9」は他の嫌な事とか我慢しなきゃいけない事とか(頑張れる)。「1」が出来るんならいいやと思ってるから。『好きな事をするために絶対にしなきゃいけないこと』っていうのは出てくるから

祐「(でも、)「10」あったら、その中で何がしたいかって話じゃないですか?それを自分で決めれるかどうかじゃん。その選択がちゃんと出来ない事の方が多いと思いますよ。あれもしなきゃこれもしなきゃ、みたいなことが増えて来るし周りの評価みたいなものも『やりたいこと』の一つかもしれないし。そこら辺じゃなく、(太一さんは)素直なところが見つけられてるわけじゃん、「10」のうちの「1」を。悩んでる方はそういう(見つけられてない)人が多いんじゃないかな。自分もそうだから(笑)分かるかなあ」

太「普通の生活だったら学校で進学するところを決めたりとかどういう風になっていくかを決めるけどさ、俺はその環境が無かったからずっとこの環境にいるんだけど。でもこの環境にいてもインタビューで夢とか目標とかを聞かれるんだけど、自分がやりたい事はなんですかって。今までずっと無くて。割と人が悩む段階って進学とか、自分の方針でしょ?どういう仕事に就きたいのかって。どうしても突き当たる壁というか」

祐「決めなきゃいけないみたいなところもあるしね」

太「そう、でも決まんないじゃん。そもそも何がやりたいのかも分かんないし目標も定まんないし。それって、もう足りてるからだと思うんだよね。人間の本能的に。本能的には何も(足りないことが無い)。生きてご飯食べて家族がいて、みたいなことで本当はたぶん足りてるんだけど。なんせ『自分で畑を耕す』っていうこと以外の仕事がめちゃくちゃいっぱいあるから、ご飯を食べるための選択肢が沢山あって、その中で何がしたいかって言われても見つかんないっていうか。まあでも本当は足りてんだと思うんだけどね」

祐「足りてると思う。だって今の状態で本当にしんどい人もいるだろうけどさ、ぶっちゃけバイトだけでも生きていける世の中というか。でもその中で絶対的なものは、最近凄く思うのは、『誰かと比べちゃう』のは凄くあると思う。そうだったんだなって思うもん(自分を指して)。で自分は比べられるのは嫌だった。『誰と誰』みたいにされるのが自分は嫌だった、くせに、一番そういう人ほど、俺みたいな人に限ってめっちゃ比べてんなーみたいな。だから全然満たされない。比べなきゃ絶対『幸せな状態』になると思うんだよね。そういうのはストレス。周りからしたら『仕事ないの大丈夫ですか』とかなるわけじゃん。勿論不安はいっぱいあるけど、でもその中でやってる事は、って世の中的には関係なかったりする部分もあるでしょ。会社とか組織に居る人は特に大変だなって思いますよ。」

 

◯「向き合うこと」の反対は「比べること」

祐「何が楽しいですか、今」

太「今楽しいと感じてること?やっぱ今日もそうだけど、いろんな道でいろんな環境でそれぞれ向き合って生きている人たちと(関われること)。この歳になってどんどんそういう人たちをいっぱい見れるじゃん、自分と違う環境で頑張ってる人たちね。で、俺は今、まあ岩崎さんもそうだけど、周りにそうやってちゃんと向き合っている人たちが(いる)。だって『向き合う』って凄く大変でしょ?すごいシンプルだけどすごい一番難しい。『向き合う』って。自分の環境と向き合って生きていくっていうのはすごい大変だと思うんだけど、それでもちゃんと向き合って生きている友達とか親友とかがいるから、前と比べるとそれだけで楽しいというか嬉しいというか。」

祐「前は違ったの?」

太「前はそんないなかったんだよね。俺も向き合ってなかったし。」

祐「そうじゃなきゃ(一緒に)居れないみたいな感じありますよね」

太「居れないね。さっきの『比べる』って話で言うとさ、その人の『成果』とか『結果』とかを見る人が多いから。だからそこで判断する人とはまず仲良くなってないもんね。それで俺が一緒にやってる人たちって、別にそういうところじゃなくて、どんな環境であっても成果が無かったとしても、ちゃんと自分と自分の道と向き合ってやってる人たちだから仲良くなれてるし。そう考えると本当に仲良い人って『そういう人』いないもんね。そこの価値観で見る人ってそもそもの感覚とか考え方が合わないんだろうね」

祐「そういう人と会う機会は自然と無いしね」

太「ねー。恵まれてんだと思う。まあでも出会うことは出会うけど」

 

◯本当に凄い人

太「でも本当に凄い人、凄い成功を修めてる人、ほんっとに凄い人、『一流の上』にある人っていうのは、……まあ『成功してる人』っていうのは多いけど、“本当”の(『凄い人』)。全然レベルが違うんだよな。『その上』があって、その人たちは結果で見てない。人を。そういう価値観で見てない」

祐「最近で言うと、最初叩かれてるけど結果、みんなが『時代が追いついてきた』みたいな言い方するけど、結局、自分の中で先見て先見て(やってきたわけだし)。最初叩かれてた人たちが結局今、掌返しに遭うってことも絶対起きてくるし。そういう感じはあるかな、二代目に対しては。ずっと叩かれてきた人だから(笑)」

太「あたさぁね」

祐「さんっざん叩かれてきましたから」

太「うん」

祐「でもちゃんっとそれに対して答えを示してきたというか。「1」の大事なものを、そこだけを守って、そこが「10」になるというか。不思議な感覚だよね。比べてないっていうか、自分が信じた『絶対』、『直感』みたいなものが(守ってる「1」として在る)」

 

◯「伝えたい」祐也さん

祐「あと10分くらいしかないけどこの100人くらいの人がどういう状況で見てるか分からないけど、『明日どうしよう』とか居るでしょ。人間関係」

太「俺達もそうだもんな、一緒だよ」

祐「眠れない日はありますよ」

太「それの繰り返しさぁ」

祐「なんか若干朱雀の影響なのかな、お芝居通してだったり踊りを通してだったり、そういうところを『伝えたい』みたいなとこはある。その『作品』が伝わればいい、じゃなくて、なんかアーティストの人たちに共感するというか。自分たちの音楽作って、自分の感覚で、悩んでいる事に対して僕たちはこう思う、前向きになって欲しい。……みたいなことが無いものに対して興味が湧かないというか(笑)辛いものだったら絶対、光が無いとやだし。変だけど」

 

◯(何かが始まりつつある・・・?)

祐「この状況を経てのあなたが何か作品を作るのは凄く楽しみですね。どんな作品を作るんだろう」

太「ね」

祐「いつも何かしらのメッセージがあるような感じだからね、早乙女さんは。今日言ってたけど一つ次の公演でやることは決まってるんでしょ、劇場で」

太「やることじゃないよ。え、あれでしょ、俺の、あの、え、あれ、見ながら言ってたやつでしょ。やることじゃないよ(笑)やりたいなってことでしょ」

祐「あれ見たいなー、スタッフさん大変だよあれ、俺らもやんなきゃいけない(笑)やりたいけど。一緒に立ってる俺らも頂きたいけどね」

太「うわなんか普通に喋ってるわ」

祐「普通に喋ってる中でもこの二人でこんなに喋ってるのめちゃくちゃレア回ですよ(笑)こんな会話したことないもんレベル」

太「普段はあるでしょ」

祐「しばらくこんな喋ってなかった気がする」

 

◯感受したから

太「ウーロンハイです」

祐「(笑)」

太「顔が赤くなってきちまった」

祐「ほんとだーちょっと赤い。珍しいな、だって3時半だもん」

太「さんじはん!?」

祐「すごいな―皆さんこんな時間まで(笑)でも一番ここに現れたあなたにびっくりしてると思いますよみんな(笑)でも朝方まで起きてるって情報は言ってたからね」

太「でも僕も岩崎さんとおんなじくらい感受してるんですよっていうことです」

祐「今日の感受がいつか、いつ伝わるのか分かんないけど楽しみですね」

 

◯しめくくり

祐「2分のカウントダウンが始まりました」

太「濃すぎて飲みきれんかったわ」

祐「(笑)まあ、眠れない人……いやたまたま起きた人や色んな人がいると思いますが。眠れない人たちに一言お願いします」

太「ひつじがいっぴき、ひつじがにひき、ひつじがさんびき。ひつじが、よんひき、ひつじが、ごひき」

祐「すいませんすいません(笑)すいません(笑)」

太「はーい」

祐「あの、俺が今想像してたのと違います」

太「(驚いた顔)(口から煙を吐きながら)」

祐「(笑)なんかあの、明日への力になる言葉をくれるのかと思ったら、ただただ眠りへいざなう呪文を唱え始めたので」

太「力ですかあ?」

祐「はい(笑)あと30秒です」

太「(ぷくーーっとした顔で数秒考えた後)ファイト!戦う君の歌を、戦わない奴らが笑うだろう、ファイト!冷たい水の中を、震えながら上って行け、ファイト!」

祐「(ギター弾くフリした後カメラに寄って)明日も頑張って、みなさん!」

~終わり~

 

 

太一さんはかなり終始真顔でずっとぐるぐる考えているような感じで、祐也さんはいつもみたいに終始笑ってた。話してる内容はむしろ祐也さんの方が今現在の悩みで痛切だなと感じたんだけど、それでも笑って喋ってるのが祐也さんだなーという感じだった。祐也さんが喋ってるとき太一さんはずっと静かに落ち着いて、しょっちゅう「うん」という相槌を入れてた。

 

私は太一さんが喋ることや信念に強く持ってるものはまるで「理想論」のようだなと思うんだけど、自分を偽ったり飾ったりしてこなかった人だからこそ、その「理想」にも見えるものが限りなく「現実」に近いんだろうなと常々感じる。「理想論」に似てるだけなんだと思う。本人にとっては紛うことなき正真正銘の「現実論」であり。

たぶん普通、小学校なんかでたとえ見せかけでも「満点」が欲しくて背伸びして、分かったふりして虚実綯い交ぜの「満点」を装飾だけ綺麗にして(中は本当は綻びだらけでも、どうにか誤魔化してでも)「完璧」を作ろうとして育っちゃうものだと思うけど、「中身の伴うものでしか人が判断してくれない」環境で小さいころから生きてきた太一さんだからこそ、上辺から作ることなく「真ん中」から「本質」から自分にとって大切なものを見つめて固めていけたんじゃないかと思ったりする。普通「理想ケース」として先に頭に置いておくようなものを一から自分の経験から組み立てて、メイド・イン・自分で「論」を出しているからこそ、太一さんの「真ん中」はダイヤモンドみたいに確かで強固なんだと思う。

それで悔しくなっちゃったり羨ましくなっちゃったりするんだけど、それこそが「比べてる」ということで「環境でどうこう言っちゃう」ということなんだよなあとこの日、本当に強く思い知らされた。「比べなければ『幸せな状態』になるのに」と言う祐也さんの言いたいことが痛いほど分かった。

自分の生き方でまっすぐ生きたいと思わせてくれるので、そしてそうやってまっすぐ生きている太一さんが物凄く素敵なので、太一さんの考え方は胸に鋭く刺さるし毎回強い刺激になる。太一さんを知れて良かったなと思う。

 

という書き起こしと少々重めの所感を共有します~~~!

グランギニョルで負った深い傷、サントラに塩を塗りたくられたので治りません

 

初めに断っておきますが、これはグランギニョルの「最後の場面」について喋りたいがためにTRUMPとグランギニョルのネタバレを前提として垂れ流してるブログです!気をつけて!

 

今日は本当は早く寝なきゃいけない日なんだけど、どうしても眠れないからブログを書き始めました。なんで眠れないんですか?それはね、今日のお昼に繭期音源萬集を聴きながら作業をしていたからです。「TRUMP」の青春にも思えるクランでの活発な日々を思わせる曲集も、「マリーゴールド」の強いけれど重い霧を纏ったような曲集も、「LILIUM」の儚く優しく洗練された曲集も本当に素晴らしいんです。でも私の頭の中ではずっと今「グランギニョル」の「愛という名の呪い」が響き渡っていて、心にグリグリと「モヤモヤとしたとんでもなく大きな不安」がねじ込まれている感覚なんですね。眠れるわけがない!

 

まずグランギニョルがどういう話かを説明しますと、「ダリ=デリコ」「ゲルハルト=フラ」という2人の超特権階級貴族が、自らの家を守りながら自分にとって大切なものを守り抜こうとする物語です。嘘です。いや嘘じゃないんだけど足りなさすぎる。とにかくこのグランギニョルはあらすじを一言で表せないんですよ。というのもグランギニョルは「TRUMP」という大きなシリーズものの1つであって、この一連の物語の中には共通の特殊な世界線が存在しているんですね。その世界線が綿密に絡み合った中で成立する物語なので、他の物語を取り出してきたりしないとうまく説明できないわけです。ということで簡単にこの特殊な世界線をとりあえずネタバレ無し(全部に共通する前提知識)で説明しますと、

①この世界線には人間の他に吸血種がいる。

②人間と吸血種の混血はダンピールと呼ばれ、人間と吸血種の双方から忌み嫌われる。

③青年期の吸血種には「繭期」と呼ばれる、著しい情緒不安定を起こす時期が訪れる(人間における思春期のハイパーエクストラバージョン。人によっては幻覚や幻聴や特殊能力といった症状もある)。

④繭期の症状が激しい吸血種は(ダンピールも)「クラン」という学校のような施設に入れられる。

⑤ダンピールは長生きできず、その殆どが繭期を超えられないまま死んでしまう。

⑥全ての吸血種は共通した1人の祖先を持っている、という伝説があり、彼の名は「TRUE OF VAMP = TRUMP」と呼ばれる。TRUMPは不老不死であり、何千年も生き続けていると信じられている。

⑦吸血種が人間を噛むとその人間は死んでしまうが、稀に吸血種に突然変異する人間もいる。

⑧吸血種が吸血種を噛むと、噛んだ者と噛まれた者との間に絶対的主従関係が生じてしまう。これを「イニシアチブ」と言い、TRUMPは全吸血種のイニシアチブを掌握していると言われている。

など。。

 

私はTRUMPを履修してからグランギニョルを見たので、TRUMPで得た知識をここに更に足すと(ガッツリネタバレです!!)、

 

⑦TRUMPの正体はクランの教師である「ティーチャークラウス」であり、人間のメリーバルと交わったために人間に殺された「アレン」という繭期の青年をずっと忘れられないでいる(アレンは永遠の命を拒み何百年も前に死んだ)。

⑧超特権階級であるデリコ家の次男「ウル=デリコ」(繭期)は実は(特権階級にあるまじき)ダンピールであったが、早死にする運命にあることから死への恐怖を強く感じ永遠の命を求め、TRUMP伝説にすがるようになった。

⑨ダンピールであるがゆえにクランの仲間から忌み嫌われる「ソフィ=アンダーソン」(繭期)はウルの友人であるが、実はアレンとメリーベルの子孫であった。

⑩何百年も前から忘れられないアレンのにおいをソフィに感じ取ったTRUMPは、自分にすがるウルをゴミ同然に無視した上で、拒絶するソフィに無理矢理永遠の命を与えた。

⑪ソフィは永遠の命を得たが、ウルに永遠の命を授ける力は残念ながら有しておらず、ウルは息絶えた。

 

みたいな感じですかね(TRUMPざっくり!)

 

これを踏まえて、さあグランギニョル(やっとだよ)。

中身をめちゃくちゃ端折ったひどいネタバレの仕方をしますがご了承ください!私がズドーーンと心を沈められた最後の場面について今話したいのに、最後だけ言ってもわけわかんないのでなんとなく分かるように間の流れだけ言っちゃいます。

 

最初の最初に述べた「ダリ=デリコ」。この物語「グランギニョル」の主人公ですが、名前から察しがつくように彼はTRUMPの主人公の1人「ウル=デリコ」の父親です。デリコ家の当主であるわけです。デリコ家は本当に超が幾つあっても足りない特権階級の家なので、息子が侮蔑対象のダンピールであるというのは普通あり得ないし、許されません。しかし、ウルはダンピールです。つまり、「ダリが人間の女性と成してしまった子」or「貰い子」ということになりますが、正解は「完全な貰い子」です。ウルはデリコ家の血を継いではいないんですね。

じゃあ、誰の子か??という話なのですが(盛大なネタバレをします)、デリコ家に匿われていた「スー」という人間の女性と、「マルコ=バニタス」という殺人鬼(吸血種)との間の子が、ウル=デリコです。なぜスーと殺人鬼との間に子がいるのか…というのは「ダミアン=ストーン」というこれまた説明が面倒すぎる存在のことを説明しなきゃならないのでちょっと端折りますが、とにかくなんやかんやあって、ウルを産んだ少し後にスーは殺されて死んでしまいます。(なんやかんやありすぎた)

死ぬ前にスーはダリに「この子をウルと名付けて」と言い遺します。この「ウル」という名前も業の深い名前で……という話もさっきのダミアン=ストーンの説明がないと難しいから端折らせていただきますが、とにかくダリは死んで行ったスーから、この生まれたばかりの赤子を託されたわけですね。

 

ここからが本題です。(ここからもなんやかんやあって〜とか滅茶苦茶な省略の仕方をしますが、さっきと同様「ダミアン=ストーン」という存在を説明できたら解決する案件です。でも説明すればとんでもなく長くなるし他にも人物出さなきゃならないので端折るね、ごめんね)

 

殺人鬼マルコ=バニタスはウルの実の父親ではありますが、なんやかんやで元の人格を失っています。そして彼は「グランギニョル」という「究極に美しく残酷な絶望」を生み出すことを使命としているのですが、彼の手によってここに、とんでもない「「グランギニョル」」が生まれます。

生まれたばかりの赤子、それも実の息子のウルの首をマルコは力一杯噛んでしまうのです。はい、イニシアチブが生じますね。そこでマルコは「ダンピールとして生涯、死ぬまで死の恐怖に怯え続けながら生きろ」とウルに命令するのです。意思とは関係なく噛まれた者は噛んだ者の言うことに絶対服従なので、この生後間もない時点において、ウルは死に怯えながら生きてゆく運命を背負ってしまったわけです。あまりにも残酷。ここから何にも染まっていけるはずの赤子を、絶望の色に染めてしまったわけですから。その後マルコを殺しウルをその手に抱いたダリは、ウルをデリコ家で引き取ることを決めます。そして、ダリもまた、ウルの首を噛んでウルのイニシアチブを掌握します。そして「負けるな、負けるな」と言い、物語の幕は閉じます。

、、、

この「負けるな」という絶対命令、どう思いますか?????希望のような温かさのような、まあそういう温度は確かに感じます。でもその「愛」はウルの生を「生きやすいもの」にしたでしょうか。確かに、絶望に苛まれるだけの人生ではなくなったのでしょう。温かい気持ちを持つのでしょう。しかし、「死への恐怖に怯え続ける絶対的潜在意識」と「その運命に負けてやらないという強い意思を持つ、という絶対的潜在意識」が同時に存在するって絶対苦しいはずなんですよ。ダリが命じた「負けるな」は温かさのようであって悪気の欠片もないけれど、ウルに対して「葛藤し続けろ」というわけでもあるんですよ…………まあダリが絶対的に悪いわけじゃないけど!(悪いのはTRUMPなんだけど!)とはいえこのイニシアチブは「ダリのエゴ」と言わざるを得ないですよね。ダリにとっては最大の愛情でも、ウル自身に与えられたものは結局「踠き苦しむ宿命」なので。ウルは死に物狂いで「恐怖」と「戦う」一生を送らざるを得ないわけです。強く感じる死への恐怖に打ち勝とうとする力、絶対的負と絶対的正の両方に強く潜在的に引っ張られ、強く葛藤しながら生きていかざるを得ないわけです。まるで地獄のような。そして実際ウルが、そういう生き方をしたというのをTRUMPで私、見てしまった………(パタリ)

 

で、エンディング。「負けるな」と赤子ウルに叫び続けるダリの後ろで流れている歌の名前、「愛という名の呪い」だそうです。ウワ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!ダリの深い深い愛情は、赤子のウルにとって呪いにしかならなかったんですね、結局!!というかダリにとってもそれしか出来なかったはずだから、本当にどうしようもなかった。どう足掻いてもウルの人生が「グランギニョル」なのだというオチ。くるしい……TRUMPでのウルを、強がりだけれど誰よりも死に怯え続けソフィやTRUMPにこちらの心が痛むほどすがり、だけれど蝶になれない繭のまま弱って死んでゆくウルを愛してしまったので余計に(しかも早乙女友貴)……

 

というのが全部、私は「回旋するトラジェディ」「愛という名の呪い」を聴くとドワァーーっと心に渦巻いてしまうんですね〜〜〜ウル( ;  ; )ウル( ;  ; )ウル……( ;  ; )ってなる。チャンチャラランチャンチャン……チャンチャラランチャンチャン………

あの、この音楽の希望と悲壮感と絶望がごっちゃまぜになった感じも最高に美しい鬱なので、本当に本当にダメです。タイトルにも書きましたが、グランギニョルで負った重い深手に超ナチュラルにめっちゃ染みるタイプの塩揉み込んできます。この歌(めっちゃ染みるタイプの塩とは)。傷、永遠に塞がらない。

ちなみにグランギニョル大好きで最高なんだけど私は視聴後何日もずっと凹んでいてかなり引き摺った(まだ今日も音楽聴くだけで眠れない)ので、精神を病みたい人、平坦な日常にでっかい感情ぶち込みたい人にはお勧めします。こちらへ来てみませんか?一緒に苦しみませんか??

 

(支離滅裂ネタバレ満載ブログでしたがありがとうございました!)

 

 

あ!ゲルハルト=フラの名前を出しておきながら一度も触れなかったね!ダリ=デリコもなんですが、超顔の良い貴族です。美の暴力+αに殴られたかったらグランギニョルを是非見てください!ちなみに私はグランギニョルのこのTHE美!といった空気も大好物だからこそこの作品にめちゃくちゃ惹かれるみたいなところがあります!とにかく美!!!!!美に次ぐ美、強い美しか存在してません!そういう作品です!

 

https://grandguignol.westage.jp/pages/1023521/cast

 

(あ!観たい人へ!円盤があるはずです!私はYouTubeの一夜限定無料配信で観ましたが良すぎたので円盤を買います)