記憶を新鮮なままで

こっちでもりんごアイコンです。見たまま聞いたまま感じたままを咀嚼しきる前に留めておきたい。コメントくれるとめっちゃ喜びます。

劇団朱雀復活公演【東京】〜情緒の宇宙旅行〜

どうも、たたたんです。

劇団朱雀復活公演に行った話をします。そもそも私の最終日が大阪千穐楽なのでそれが終わってからドバッと書こうと思ってたんですが、何事も新鮮なうちが良いだろうと思うので書いちゃいます。ほんとはこのブログに東京と岐阜×2を全部書いちゃおうと思ってたんだけどいかんせん東京が長引きすぎたのでとりあえず切っといて、岐阜は別途書く。宣言。

 

そもそも劇団朱雀の存在を知ったのも今年の夏だしむしろ早乙女太一の存在を知ったのも今年の夏なので「もうよくわかんないけど新推しが頑張るの?まあじゃあ飛び込んでやろう!」みたいな軽い気持ちで機材席開放のタイミングで思い切ってチケ取った感じでした。なんなら大衆演劇って何?女形?高校の日本史で見たことあるな!ぐらいだった。超軽率。数ヶ月後こんなブログを書くとも知らずに。

 

太一さんのこと急にめちゃくちゃ気になり出してから座長だったんだ〜とか解散したんだ〜とかそういう情報は入ってきてたんですよ、でも朱雀の情報入れていくうちにいろいろちょっと分かんないぞということがあって。太一さんのことは'普通なら有り得ないレベルで自分の気持ちに正直な人'だと思っているんだけど、これだけ自分の気持ちに正直で嘘付かない人が"「解散したい」と言ってスパッと解散したこと" と "「また戻ってきます」と約束したこと"、その2つの間に矛盾がないか??と思ってたんですよ。というのも「自分のようにみんなにも外の世界を見て欲しかった」というのがすごく綺麗な理由だったから私が単に信じきれなかったんですね、建前なんじゃないのか、新しい世界を知ったがためにこの集団を出たくなっただけなんじゃないか、とかね。これは当時のことを何も知らない一タイチサオトメファンの戯言だったわけなんですが、そーんな心持ちで復活公演に参入してしまったわけですからもう大変でしたよ、東京公演始まる前までほんと「してしまった約束は果たさなきゃ」の気持ちだけを原動力にしてた公演なのかな〜みたいな気持ちだったのでほんとダメです。失礼した。懺悔。(東京初日にレポが回ってくるじゃないですか、なんでみんな泣いてるの!??!って思うわけですよ。11月下旬ベッドの中でうっわ今やばいことが起こってるんだなと流石に察した)

 

美化したがるオタクなので劇団朱雀のことを「早乙女太一の青春」だと勝手に構想してたんですね。生まれてからずっとこの集団の中だけで生きてきたから、喜怒哀楽を自分の中に押し込めて舞台の上に立つ中で辛いこともあったろうけど彼なりの青い時代が全部詰まった場所なんだろうなーと漠然と。いっぺん外に出ていろいろな出会いがあって経験を積んで、そこからまた青春の再現というか、汗水流してこれが本気だと心底言える場所でもう一度自分の全力を表現しようとしてるのが復活公演なんだろうなぁみたいな。28年間培ってきた「早乙女太一」が集大成として見られる場所なんだろうなと。だからめちゃくちゃドキドキワクワクはしてた、んですよ。

とは言いつつやっぱり「解散したい→またやります」のどちらかにちょっぴり嘘がある、無理があると思ってたその疑問が自分の中で解決してなかったので、少々のモヤモヤはありつつ私の初日東京前楽を迎えたわけです。

 

超〜〜〜〜〜〜〜浅はかでしたよね、百聞は一見に如かずを体現しましたね。言い方はアレだけどあの3時間、そんな中途半端なものじゃ有り得なかった。剥き出しじゃん。剥き出すのって覚悟じゃん。命を削ってるし燃やしてる。何あの眼光、空間の全てを解釈したような広く純度高く鋭い眼光でしたよ。濃縮。還元。嘘があったらあの鋭さは無いだろうなっていうこちらに有無を言わせぬ眼。しかも怖いのが「剥き出しなのに美しい人」がそこにいたこと。まず最初にこれに驚いた。剥き出しで美しいってファンタジーだけでしょ!??みたいな。プリキュアって剥き出されて感情爆発した女子中学生が全身全霊で曝け出す正義感がピュアッピュアだから神話化されるし英雄たり得るわけでしょ、実際の女子中学生もっと腹黒いでしょ。それと同じなんですよ花魁顔見せのあの瞬間あの人は。剥き出しだったらふつう汚いじゃないですか。ほんとか?リアルプリキュアか?存在していいのか?となる(伝われ)。でもそこに確かに居る。怖い。こわい。本気でビクビクしちゃう。

いや表現者なんだなと思うんです、ほんとに。表現するけど、作らない。演出はするけど、当然偽らない。ホントを美しく表出する過程でそれらしく美化したり盛ったりしてない。でもなんかものすごく美しいものとして成立しちゃう。「芝居はウソだから嫌い」を乗り越えた人の演出なんだなーと思う。早乙女太一って松ケンの言葉を借りると「作品に溶け込める人」じゃないですか。あたかもその世界に普段から居るような。演技というウソを芝居というホントとして強引に成立させちゃう。強引にっていうか、そこに生きてるんだとこっちがそう思ってしまう。でもそれは騙されてるわけじゃなくてホントに彼自身もそこに存在して生きてる。んだと思う。これは彼の根幹の何がなんでも嘘だけはついてやらないみたいな一番頑固なところが機能した魔法みたいなものなんだろうと今は思ってるけどそのカラクリ上手く説明できないので頭の良い方また説明お願いします(他力本願)。ウソがなくてカモフラージュがないぶん直接的に強いエネルギーと圧をもって伝わってくるんですよね。それがやばい。

 

 

話が全然内容に入らないので無理矢理東京一部の話を交えながら進めますね!!

私はドドド新規なので朱雀ヒストリーは体感してないけどもいろいろ漁って文字上の知識としてなんとなく入れてはいたんですよ、その方が楽しいかなーと思って。それだけなんですけど、会場入って着席して目の前に舞台幕、並ぶ提灯、朱雀で使われる年代のものであろう数十年前のJ-POPが流れる座席、っていう状況の中で買った写真集をペラペラめくってたらなんかアッ…今からここで始まるこれがこの人たちの人生であり青春なんだな…って激重発動して(物理的に)涙が出た。私は基本重臭いオタクなのでサザンシアターにもソワソワしながら3時間前に着いて(まだマチネの途中で音漏れしてた)どうしようもなく手持ち無沙汰のまま1階ニトリを出て外のベンチで夕方の冷たい風に打ちつけられながら1人火照った熱を(物理的に)冷ましていたので…というのはどうでもいいんですが、音楽がブワァ!!ってどんどんおっきくなって始まる!ってなるときに身体の内側からかかる妙な圧力なんなんでしょうね、どうしよう飛ばされる!どこに掴まればいいのかわかんないよ贋鉄斎!どーしたらいいかわかぁんないっ!って心のサダヲ鳥捨が叫ぶ。満を辞して始まるって瞬間、創くんの影ナレの言葉が美しい上に強い思い溢れちゃってるみたいな喋り方だから既に素敵でもう心がフワフワしてたのに「開演です!」で幕が上がって直方体のその透き通った空間が目の前に広がったとき、脳の表面がパリッと固まったような感じがした。脳の中身はすごい刺激されて活発に動いてるんだけど活性化されたそれを自分のものにできない、その感情を言語化できないというか。辛うじて言うなればあの感覚は「怖」かった。(1度あるんですよ「THE LIMIT OF SLEEPING BEAUTY」という映画を観たときも同じ感覚になって2日間まともな言語を発せなかった怖い経験がある。思う考えるという行為を飛ばされる。あ あのときのあれだ怖いやつだ って思った)

ガラスのように透き通るような冷ややかな光線の中にスッと存在する花魁がいて、どこにも視界に隙を与えないような完璧すぎる配置で世界観を作る白黒の男衆と艶やかな女郎たちがいて。最初は表情なんか見てられないし早乙女太一だー!とかも全然思えなくてそんな余裕はなくて、ただただ今目の前に広がる光景が美しくて暫くびっくりしてたのを覚えている。

早乙女太一、総合プロデューサーとしてこれを生み出したんだから言うまでもなく「美しい」を表せる人だ思うんです。

でも不思議なのが、この美しい花魁道中を舞台の上に広げてるそれは明らかに事実としてあの10人そこらの人たちは「花魁道中を作ってる、演じてる」はずなのに、しかも存在する人全員流れてる椎名林檎の淑やかさとめちゃくちゃ調和して静を保ちながら動いている、表現しているのに、全員で美しい空間を"作っている"はずなのに、みんな「生きてる」んですよ。魅せるぞドドン!みたいに気張ってない、ドヤってないって言うんですかね。魁道中が日常の中に組み込まれてる人たちの有り様だった。私達は強烈に魅せられてはいるんだけど、お客としてここに居る感覚が不思議と無くて、花魁道中をちょいと見物してるみたいなそんな感じ。ここに「ある人生」がウソなく存在していて、私はそれを何故か客観的に見ている。なんかそれが本当に怖くて、今思い出すのにもみぞおちの奥のあたりがキュヮってする。なんだろう、夢でよくあるシチュエーションじゃないですか、自分は登場せず他の人の有り様を遠い視点から観察している状況。「夢でしかあり得ない状況」がホントとして目の前で繰り広げられる。狐につままれたみたいな心地。光景の美しさは抽象としてのみ記憶に残り、これまで経験したことのない新たな感覚として強く刻み込まれている。

美しいんですよほんとに。光のおかげフォーメーションのおかげ衣装のおかげもそりゃあるけども、生きる人として美しかった。そんなのありかよって思った。なんか悔しいなぁ。泥臭さが美しさみたいな逆説的な剥き出しの美ってあるけれど、そうじゃないんだもん。

太一さんがインタビューで言ってた「みんな板の上に生きれる人なので」の言葉、あれ芝居に限るんだと思ってたけど一部同様表現する上で全部言えるんだなって思った。舞台の上という晒される空間において繕わず剥き出すことができて、なおかつ魅せられる。喋りもしないのに。技術うんぬんの話じゃなくてそこにどれだけ嘘がないか なのかな、とぼんやり思った。魅力的な人が剥き出しで作るエンタメってクラクラするほどのエネルギーを発している。

 

一部は暗夜の心中立ての衝撃が大きくて正直あとのことは小指の先くらいしか覚えてないんですが、とりあえずメモがてら残しておく。

暗夜で思考飛ばされた直後でクラクラしてたので記憶もズタボロだからもう歌麿はお面つけた!はずした!拍手!しかとりあえず覚えてないんだけど(ごめんなさい)お面袖に隠して超スムーズにつけ外しするよねたいちさん。着物捌き刀捌き扇捌きが美しいのは分かってたけどあなた小道具全般に神経通してるでしょって言いたくなった。あの滑らかさはほんと見たほうが早い。見たら分かる。

曼荼羅は歌に合わせて力強く踊るゆっくんに'雄'を感じてなるほどこれが早乙女友貴かって思った。花か玉を散らして踊るような兄に対して、弟は勾玉やアラレを散らすように踊る。骨があるんだけど不格好じゃないんだよなぁ、落ち着いた中に強いギラつきがあるからいいなぁって思う。人離れを感じる兄とは対照的にゆっくんには強い「人」を感じるんですよね(なおこの1週間後岐阜で人から逸しようとしたその境界線上に居る早乙女友貴を目撃することになる)。

曼珠沙華はひたすらに座長がかっこよかった。二代目からの朱雀しか知らない人間が陽之介さんを座長って呼んでいいのか悶々としてたけどもう見たら呼ばざるを得なくなった。「奥さん私はまだまだ現役です」の説得力がすごい。いやこの復活公演たいちさんが紛れもなく座長だしたいちさんが座長であり作り上げたこの朱雀が好きなんだけども、陽之介さんは名誉座長というか、とりあえず「座長」って呼びたいんだ、というか呼ぶ。って思った曼珠沙華。罪作りだ…宇崎竜童があまりにしっくりくる…

かもめが飛んだ日は奈々さんにアレコレ思ったはずなんだけどかもめに全部飛ばされた!笑 Twitterレポ薄目で見ててかもめが出てくるのは知ってたけど優雅に羽織りものヒラヒラさせる感じのかもめなのかと思ってたんですよ。白全身タイツに黄色い嘴で小股でバタバタいっぱい出てくるのはあまりにも反則wwあんなの笑う(だいすき)。奈々さんに思ったこと全部どっかいっちゃった!ここまでの演目全部真面目というかただ魅せられる4曲だったからここでいきなりネタ要素来て戸惑ったよね!!?(3部のはっちゃけ具合をまだこのとき私は知らない)

そこからのワダツミの木なわけですが。正直衣装とかほとんど覚えてないんだけど「この時間一生続いてくれ」って思ったのはしっかり覚えてるよ。水色だったっけ〜とか月がなんとかみたいな歌詞だったっけ〜とかそんなレベルでしか覚えてないけど妖精のように美しい人にとろんと溶かされたんですよ。笑みが天才的。美しさ可愛さを超えてて、神々しいのに茶目っ気感じる魅力でぐいぐい吸い寄せてくるようなね。後生だからもう一度見せてください。

ラストは夜桜お七、王道すぎたからなんとなくお七姐さんでラストかなみたいな感じはしたね。アップテンポになるところで周りみんな手叩くから一緒に叩いて、すごーい!楽しいー!姐さんかっこいいー!ニコニコ!😊って感じだった。酸いも甘いも噛み分けた貫禄ある女形じゃないですか、扇子くるっくる回すのも魅せるというより(いや魅せられたけど)お七という女性の生き癖としてやってるような。たいちさんの女形は男女を超越した性だなと思ってたそのイメージと一番合致したのがお七姐さんで、どっしり構えた女神のような、心が錬磨されてて強く美しい人という感じだった(とは言えお七姐さんは「1人の女性」としての面もかなりあったからそこはなんとも言えないかも)。楽しいけど圧倒されてこれはすごいないいな、って思ってたら一部が終わっていやいやほんといやこれはもうほんとにさあ!!いや〜〜〜しゅてき〜〜!!!さいこう!って感じだった!

顔見せからの太一さんゆっくん座長までずっとまっすぐ「ヤバい耐えれない」が続いてたところでかもめワダツミお七が畳み掛けて来たからグォ〜〜ン!!!!って「無理😇」に変わった感じ。一部がこんななのに二部三部持つのか?って思ってたんだけど一部でだいぶ掻き乱されたと思っていた情緒、二部で限界突破して三部で理性と共に飛ぶ。こんなのひどい(ニコニコ)

 

 

二部の話をしてもいいですか。ネタバレガンガンに書くし話の筋書きは書かないただの自己満だからすっ飛ばしたい人は薄目のままシャーってすっ飛ばした方がいい項目だよ!!

 

私の初生大衆芝居、遠州森の石松だったんですよ(しかも過去イチでしんどかった回だったとTLで知る)。苦しいね、今思い出すだけでもしんどい。石松かわいいよ石松好きだよぉ…ほらごはんたべなよ猫じゃらしだよねえってば石松( ;  ; )( ;  ; )ってなっちゃう(石松猫というより犬だけど)。私はFCサイトで「花太郎笠」と「身代わりカンパチ」の予習はして行ったんだけどかえって逆効果だったのでは…?と思っている。だって花太郎笠なんて特に楽しいじゃないですか?花太郎「俺主役だからモブのおまえらにはぜってーやられるわけねえからかかってこいや!(超強いから秒で勝つ)」って感じじゃないですか??ほらね逆効果!!!!!まあいいや落差で楽しい(くるしい)

花太郎笠では花太郎が物語の主導権を握ってたから良かったんですよ。でも遠州森の石松、主導権握ってるの語りじゃないですか。私の観た回においては圧倒的銀さんじゃないですか。そこですよね…いくら石松が強くたってそこなんですよね…(掠れ声)

銀さんが掌握する世界の中で生きる石松、べらぼうにかわいいじゃないです…?次郎長親分に心底惚れ込んでてだいすきー!が身体から溢れ出てる。次郎長は登場しないけどだからこそ見てる側として最高に理想の魅力的な親分像を作り上げられるよねぇ。石松、酒屋で次郎長の子分で一番強いのは誰か聞いてそのたびに2番目は!3番目は!4番目は!で自分が出てこないことにおっかしいなー?ってめげないところも、石松のこと忘れてたよあいつが1番だ!って言われて「呑みねぇ呑みねぇ!」ってニッコニコで喜ぶところも、でもあいつはバカだからな!って笑いものにされて川にどっぼーんするところも無邪気で自分の気持ちに正直なバカでほんと愛くるしい。石松愛くるしいんですよほんと。ほのぼの物語だと思うじゃないですか。私はそう思ってたんですよ!!!!( ;  ; )

他の役者さんたちの話もする!笑 創くんは静かな気迫がすごくって良い俳優さんだー!って思ったしゆっくんトミーの梅竹はいちいちかわいいしゆっくんが石松を刺すんだぁ…っていうのがオォッてなった。了くんは丁寧なお芝居をする人だなと思ったし奈々さんの啖呵は強く凛々しく芯が通って張っててかっこよくてまだあのグイッと胸に届く通る声が耳に残っているし、ほんとにみんな好きなんだけど、この物語で私が惹きつけられたのは銀さんと石松だったなと思う。

都鳥とのすったもんだは飛ばすんだけど斬られてやられて七五郎とおたみさんの家もこっそり抜けて1人浜松に向かってよたよた歩きながら倒れたときに石松と銀さんが話すシーンあるじゃないですか、あそこ思い出すとトンデモ苦しい。序盤石松かわいいねー!キャンキャンコロコロ!って気持ちになってから中盤都鳥に滅多打ちにされて石松お前自分大好きだろ死ぬなよ生きろよ!って思わせといてこのシーンで「話飛ばしてくれよ」って語りに嘆願する石松にこちらはそうそうそれでこそ石松!ってなるじゃないですか。次の背景を出してくれといつもの人たらし声で嘆願する石松、そんなもの用意してないと首を傾げる黒子、なんで無いんだよ俺は帰るんだって言い張る石松、そして「この物語はここでしまいだ」「おまえはここで死ぬんだよ」と厳かに丁寧に告げる銀さんの語りに心底ゾッとしてしまった。語りと石松のやりとりってもっと楽しいものだったはずじゃん!?という落差。きっと語りも石松のこと好きだし可愛いバカだと思ってるのがその言い方から分かるから余計に辛い。

「そこまで言うなら隠れてな、でもそれはお前さんにとって死ぬより辛いことかもしれねえがな(ニュアンス)」って言われて麻布の裏に隠れる石松、そこから都鳥たちに次郎長をバカにされてる間自分が死ぬこととかどうでも良くなってただ怒りに震えてるんだろうなぁというのが麻布の裏からでも感じられるの次郎長だいすきわんわんだった前半の描写があまりにも効いてるな〜って思ったしそこから怒りが膨張して怒りのあまり自分の瀕死状態さえ忘れて、生死の境界として機能していた麻布を飛び出して血糊まみれで最期の命振り絞って戦う石松、見てられないほど命がけだった…(見たけど)。違うじゃん殺陣が。ビュンビュン刀を振り回して上から下に垂直に豪速で振り下ろしたりして「絶対許しちゃおかねえ」っていう気迫と泥臭さのリアリティが物凄かった。石松ほんと素直でバカで観てるこっちは最期の最後まで石松のこと大好きだし、話が進むにつれどんどん好きになっちゃうところがズルい。なんなら眼帯ビジュアルなのもその時点で愛おしくてズルい。終盤になるにつれ、石松の台詞一言一言に胸をひっかかれるような直接的なこそばゆさを感じて愛しさで溢れて、なのに石松が助からないことは分かってしまう無念さ。ただただ石松の生き様死に様を見届けることしかできない歯痒さ。目の前にいるのに、ここにいるのに。

そもそも早乙女太一の声は同情を誘う声というか心の痒いところを擽ってくる声なので喋るたびに切なくなるんですよ。私早乙女太一の芝居はすっごい好きなんだけど、特にきっと声にほんっと持ってかれてるんだろうな〜と思う。感情入れて喋ってるの聞くとそれだけでビリビリ震えちゃう。稀有。石松適役すぎないです??バカで自分大好きでプライド持っててかわいいなあこのやろう〜〜!って擽ってきてからのもう…おまえ…やめろおまえ…って抉ってくる…石松…

石松って次郎長のことが大好きだからその一の子分と思ってる自分も誇らしいんだもんなー!序盤の酒屋で自分のことが大好きな石松あれだけ見せられてきといて最期それを上回るほどの親分への心にギュンッ…てなる 親分にキャンキャン懐く狂犬じゃん…かわいいな…

最後の「遠州森の石松ッ…!!」の銀さん最高すぎたよ…という話で二部の話は締める。石松だいすきだよ石松〜〜〜!!!!!!火消しも安兵衛も観たいけどもっかい石松観たい気持ちもある。大阪千穐楽楽しみだな〜〜?(火消しは脚本かずき神だしプロメアとふたがしらが好きな人は〜みたいな話を小耳に挟んだのでどうしても観たいけど札幌でやりそうだから大阪楽じゃやらない気がするんだよな🙂)

私舞台自体これまで4回しか行ったことなくて、それも全部舞台からかなり離れた席だったから、その場に居合わせてるという生の臨場感はあるにしろそうは言ってもテレビの延長の感覚が続いてたんですよね。今回、めちゃくちゃ近かったんですよ。ほんとにすぐそこで幕末ヤクザ者の人生が生き方がさ……なんだこれは……となりました。なにって「舞台上の人物と同じ感覚になる」をヒリヒリと体感したのが嬉しかった。今回のおかげでこの先どの舞台でどんな席でも同じ感覚になれると思う。石松でよかったなぁ。べらぼうに辛いけど。

 

二部終わりに石松からお直ししたたいちさんからTシャツとパーカー買ったんだけどただでさえ(神様から服を買う…??)って困惑してるのに「握手」って言われて「!??!」って動揺してしまったせいでお金払った後買ったグッズとかバラバラ落としてしまった ごめん^^

 

 

石松引きずって手売りの余韻も全然抜けてないうちに三部始まったんですけどなんかすごく…すごい…周りの常連ぽい方々の熱気がすごい…立つのか…エッ立つんだ…?なにこれたのしい!!!!!🎉ってなって情緒が火星から冥王星まで飛んだ(?)。

一曲目MATA©︎TANA、あれ楽しすぎやしませんか???岐阜2日目この曲無くって「まってたよー!」が言えなくて不完全燃焼になってたほどに私このパフォーマンス狂おしいほど好きなんですよ。まず最初のたいちさんの煽りが最高。「待ってたかーい?」「「待ってたよー!!」」、私はただ単に東京初日から2週間ずっとこの日を待ってたのでその意味で「待ってたよー!」は本心から叫べたんですが、5年間待ってた常連さんであろう周りの方々と叫べた、叫んでもよかったことが本当に嬉しかったし有り難かったし、勝手かもしれないけど朱雀あったかいなぁって思った。なんて一瞬の間に考えてたとこに「揃いし仲間が揃ったところで」って言うじゃないですか。揃いし仲間の1人にしてもらえた幸福で胸がいっぱいになって「皆様ほんとにまたしたなー!」で陽気に激しく楽しく騒がしく始まる音楽とダンス、なにこれ最高!って感じだった。ステージの上は本当に眩しくて、明るい赤に満たされて騒がしく踊る騒ぎ屋たちが扇バタバタさせて振りまくエネルギーを浴びるのが本当に幸せで、そのど真ん中で場を掌握し楽しそうに歌い踊るたいちさんが放つメラメラとした生きる力みたいなものがひしひしこっちに伝わってきて、元気のお裾分けをしてもらった気分だった。そこから「またしたな!」「「まってたよー!」」で元気のぶつけ合いができるヤバい空間になってその繰り返し。ゲキ熱。「所詮巷の噂じゃないかよ」のところなんて超騒がしくて大好き。思い出すだけで泣けてくる。騒ぎ屋家業十何人!!!

続いて了くん筆頭にすじゃにーず(って言うんだね?!)のお祭り忍者。休むところを知らない。二部であんなやられたのに三部こんなはじけるんだ?!もう楽しんでやれ!!みたいな気持ちになった。こうなったら一生狂える。ワッショイたのしい^^

続いて東京ドンピカ。あっこのビジュアルなんか朱雀PR公式動画で見たことあるぞ!っていうグラサンたいちさんとトミ子が現れる。トミ子のサービスと客席の歓声が楽しいし客席、座るつもりないの楽しすぎる(笑)あと急に思い出したけどたいちさん雑誌のインタビューで「歌だけはほんとに無理で(笑)」とか言ってたけどバリバリ歌うし普通に上手いじゃんか!!!笑

狂わせたいのでなんかいっぱい出てきてめちゃくちゃ楽しいな〜と思ったら右手左手〜!って踊るの超超楽しくて幸福度高かった。山本リンダマジック。トミ子の部屋はさにーちゃんが宝塚の面接の名乗りやってたいちさんもやってゆうやがやらされようとして「はいせーの!」で遮られてめちゃくちゃ楽しかった^^

あゝ無情、ゆっくんセンターで踊って「フッフゥー⤴︎」「フヮッ⤴︎フヮッ⤴︎フヮッ⤴︎フヮッ⤴︎」って客席が賑やかしできる一体感ほんと幸せすぎてどうなっちゃうんだろうな…って思ってた 朱雀、年齢関係なくみんなで騒いで楽しめるこの空間素敵すぎないか…??

あゝ無情終わったらみんなゾロゾロ座るのでまってまって終わり??終わりなの??って座ったんだけど急に静かに厳かになってたいちさんが赤い着物で出てくる。歳々年々というらしい。あのですね、またここで暗夜同様に脳が表面だけパリッと固まってしまったので途切れ途切れにしか本当に覚えてないんだけども、太一兄の後ろ上から友貴弟が出てくるのにぶわぁって鳥肌が立った。なんというか、これは単なる演出ではなくてウソのない作り物じゃない、兄弟を表現したものなんだなと感じたというか。絶対的な実力と名声とを持って君臨する「早乙女太一」という兄に対し、後追いの形とならないように苦しみながら自分の足で立ち向かう「早乙女友貴」という弟の対比。「待ち受ける者」と「挑む者」。きっといろんな解釈があるんだろうなと思うんだけども、なんにしろ兄弟を嘘偽りなく表してるのがこれなんだろうなとは思う。いろんなことを思った。早乙女兄弟の生き方は特殊だからどう20数年過ごしてきたんだろうかと思いを馳せたりするけれど、特にゆっくんに対しては兄に対しての弟というレッテルを貼られること、「早乙女太一の弟」として世間から初めから見られること、追いつけるのか、追いつかなければならないのかということ、自分のアイデンティティ、とかもういろいろ抱え込んでるのかなと勝手に想像したりする。人様の人生を勝手にあれこれ言ったり人が生き方として本気で悩んでいるだろうことを娯楽としていることにかなり罪悪感はあるんだけれども、その部分を剥き出しに浮き彫りにして表現している早乙女兄弟を見ると、嘘をつけないこの2人の表現者としての本気を見たような気がした。命を削って曝け出してこちらに見せているし、こちらがひっそり早乙女兄弟の心のやりとりを想像することを拒絶はしないんだなと感じた。別に推奨もしてないと思うけれど「勝手にどうぞ」というスタンスかなと。

ゆっくんって復活公演自分は出ない、まだ早い、って言ってたみたいなことだったじゃないですか。でも出る決意をして1番盛り上がるところでこの兄弟を表現するんだ、というのが衝撃だった。兄弟の関係性からくるお互いの強さも弱さも隠さず表現して、なおかつ魅せる。2人同じ動きをしたかと思えば個々の動きもあって、しなやかな兄と雄々しい弟の対比も違いも現れていて、兄弟の歩みを見ているような感じがして、ここまで見せてもらえるんだなぁと思った。(ゆっくんいろんな呼び名があるけれど「ゆっさん」「ゆっくんさん」というのは昔からのファンの方が5年のうちに大成長した彼を称えて「さん」とつけてるものだと解釈してるので5年前を知らない私は大成長後の彼しか知らないけど成長の過程も知らないのでなんとなく「さん」は付けられないから逆にゆっくんと呼ぶ)

歳々年々でポワワ…となったあとFire Birdで兄弟剣舞、こんなもの見てもいいのか…?という気持ちになった。歳々年々で兄弟の象徴概念を見せられた後にその2人が全力でぶつかるの闘うの半端ない。こちらの情緒が半端じゃない。しかも闘うっていっても早乙女兄弟ですよ、日本一爆速で精巧で美しい兄弟殺陣なのに2人が感情爆発させてる(ように見える)ので2人から発せられる熱量が規格外。後ろではMIYAVIがファイヤーバーード!!って歌ってる。神々しかった。

そっから光明で全員出てきてフィナーレだった(らしい)。ほぼ記憶がゼロに近い(笑)視覚情報がすっかり残ってないんですよ。なのでこれも後生だからもう一度見せてほしい!!!最高だったよ劇団朱雀!!!

それとWアンコールでゆうやの千本桜ラップが聴けた!ゆうや好きなんだけどこの日存在感薄めだったから嬉しかった、ゆうやかわいいよゆうや!かっこいいよゆうや!

「みんなお仕事学校頑張ってねー!!!」って言いながら自ら幕を閉める早乙女太一、自ら「生きるエネルギー」をごうごうめらめら放っているからその一言だけでめちゃくちゃエネルギー分けてもらえたような気がした。あんなに綺麗に命を燃やす人を他に知らないし、だから私はこの人を推すんだな〜と思ったりした。

 

深夜0時から朝6時まで年の瀬に徹夜でブログ書いてしまった!!岐阜はまた書く!!!!!!!